現役を退いた人に対して、「あの人、歳とったね」「老けたね」などと無意識に口にしたことはありませんか? あるいは、自ら自虐的に年を取ったことを笑い合うこともあるかもしれません。しかし、こうした「無意識の差別」が自分たちの元気までも奪っているとしたらどうでしょうか。明治大学教授・齋藤孝氏による著書『60代からの知力の保ち方』(KADOKAWA)より一部抜粋・編集して詳しくご紹介いたします。
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すっかりトイレが近くなっちゃって(笑)…老いに対する自虐は「断ち切らなければならない呪い」であるワケ【明治大学教授・齋藤孝氏が解説】
「老けたね」と言うことは年齢差別になる
現役を引退した60代の人を見て「あの人歳とったね」「老けたね」などと、無意識に口にしていませんか。外見で他人を評価・判断したり、身体的特徴や容貌で人を差別したりすることは「ルッキズム」です。
「歳とったね」「老けたね」という言い方も、習慣的に口にする方が多いのですが、これは身体差別・年齢差別の一部です。老いに関しては、ハラスメントという概念が遅れていると言えるでしょう。女性たちが、ハラスメントや男社会の女性差別に対して声を上げられなかった、あるいは上げても届かなかった状況に似ています。
確かに年齢を重ねると、体力や速度感、情報のアップデートについては若い世代に遅れてしまうことがあります。しかし、見た目については年齢を問わず、触れることに配慮が必要です。老いは男女問わない問題ですが、ことに男性、いわゆる「おじさん」に対しては、遠慮のない視線が浴びせられ、何を言っても構わない属性だと思われています。
こうして無意識の差別意識を洗い出してみますと、ふとした瞬間にプレ老い世代同士がお互いに差別用語を使いながら、お互いの元気を奪っているのかもしれないと思うようになりました。
例えば「すっかりトイレが近くなっちゃって」などと笑い合うのは、自虐、卑下をしているわけですが、それが結果差別的な視線を生んでいることはないでしょうか。
プレ老い世代が自分を卑下しなければいけないような思考は、戦前、選挙権もなかった女性が無意識に自分を卑下し、自分の可能性を狭めさせられていたように、断ち切らなければならない呪いなのです。