「退屈力」が生む豊かさ

退屈は敵ではありません。時間ができたことを、怠惰であるかのように自責するために、不要な強迫観念に苛まれるのです。60代からは、いわば「退屈力」が必要になります。

退屈力とは退屈に耐えられる力、一見退屈に思える作業を前向きに楽しむ力です。武道は、型の習得から始まります。型の習得には根気が必要で、うまずたゆまず練習を続けなければ型は身につきません。基本を自分のものにするために、地道なトレーニングが必要ですが、これは退屈力のトレーニングと言い換えることもできます。

退屈力は、セカンドライフを豊かにするキーワードです。追い立てられることのないゆったりした時間の中で上達を目指し、丁寧に作業を繰り返すことで、自分の時間を濃密にし、その道の奥義に近づくことができる。重要なのは上達するスピードではなく、いかにそこで喜びを味わえるかです。

私の父は60歳を過ぎてから、本格的に書道を始めました。師範の免状を取りました。同時にもっと気楽な趣味として、模型作りを始めました。それがしんどくなると、1,000ピースのジグソーパズルを、酒を片手に楽しんでいました。

加齢の寂しさや孤独感を味わう代わりに焦りがないのが、若い頃との違いです。若い時は、社会から認められたい、自分の力を発揮したいなど、さまざまな願望が複合的に絡み、常に焦りにつきまとわれます。死は広い意味で運命ですから思い悩む必要はありません。誰もに訪れます。

私は45歳の時病で死にかけてから、それ以降の人生は余生、ご褒美期間という意識が生まれ、身軽になりました。会社の看板がなくなり社会的地位から離れたら、誰しも寂しさを感じます。その孤独感はあなた独自のものではありません。