人生が終盤に近づくにつれ、身辺整理の一環で断捨離を考える人は少なくありません。しかしいまや100年時代。死を見据えてモノを減らすよりも、これからの人生の生き方を考えてみるのはいかがでしょうか。本記事では川村隆枝氏の著書『亡くなった人が教えてくれること 残された人は、いかにして生きるべきか』より一部抜粋・再編集して、遺品整理・終活の断捨離についての考え方を解説します。
やっぱり捨てなければよかった…親の遺品を処分して後悔する人続出。75歳の介護老人施設長が「終活なんて考えたこともない」と言い切る理由
宝物や遺品の断捨離への違和感
その一方で、最近耳にする「親の遺品を断捨離する」とか「終活の一環として大切な物を断捨離する」と言うのには違和感があります。
愛する人の遺品は、ただのモノというより大切な思い出であるからです。愛着のあるモノを手元に残すことで得られる喜びやエネルギーはおおいにあるでしょう。私の場合、夫の遺品、特に衣類は捨てがたく自分で着ています。そうすることで、いつも一緒にいるようで、何となく幸せな気分になるのです。もちろん、自分で使えないモノは夫の親しかった友人、知人に「かたみ」として差し上げています。あくまでも執着を捨てるのではありません。お相手が夫を偲び喜んで手元に置いてくれる人だけに差し上げるのですから。
両親が亡くなって「思い出の品を見ると辛いから」とすぐに遺品を処分した子供が、何年か経って気持ちが落ち着いてから「やっぱり捨てなければよかった」と後悔する声もよく聞きます。遺品をすべて取っておくことは不可能で処分を余儀なくされる場合もありますが、それは断捨離ではなく片付けといったほうが適していると思います。なぜなら、大好きだった人の残されたモノを処分するのは物への執着を捨てるわけではないからです。
人生100年時代…捨てるにはまだ早すぎる
また自分自身のこととして、超高齢化社会において、「残された家族に負担をかけないように」とか「残された人生を充実させるため」に終活の一環として、身辺整理をはじめる人が増えています。
70歳を過ぎたら、
・当たり前だったことを「やめる」
・大切にしていたものを「捨てる」
・そして過去への執着から「離れる」
こういうことを実践していけば、人は自由に楽に生きることができると提唱し、いわゆる断捨離を勧める人もいます。実際に、身近にも「断捨離している?」とか「そろそろモノを整理しないと残された家族に迷惑だから断捨離をしているの」という声が聞かれます。
しかし、今や、人生100年時代。まだ大切なモノを捨てるには早すぎます。残された人生を充実させるためにこそ、本当に必要なのは捨てることではないと私は思います。私自身は「終活」なんて考えたこともありませんし、自分の思い入れのあるモノを減らすことは考えていません。
人間いつ何が起こるか分からないからこそ、毎日を大切に楽しいと思える生活を送りたいと思います。亡き母が言っていた「長生きの秘訣は、年を数えないこと」をいつも心がけています。いくつになっても前向きで、やりたい仕事を続けることが、精神的安定感を保ち免疫力を上げ、いつまでも若々しく長生きに繋がると思います。ちなみに、母は101歳まで生き、その生き様は娘の私からみてもアッパレでした。終活なんてやめましょう!
寿命が延びれば病気のリスクも増してきます。そこで単に長生きをするのではなく健康長寿が大切になってきます。死んでから起きることを心配して大切な時間を無駄にするのではなく、今の生を充実させることこそ健康長寿に繋がると考えています。モノを捨てることでストレスを感じるより、モノを大切にしたほうがよほど楽しくて、心地よい時間を過ごせます。
死後を見据えた終活を考えるより、今まで得た大切なモノや経験を財産に、もっと楽しい生き方を考えたほうが得策だと思います。突然の別れによるモノの処理が心残りなら、家族または知人に処理に必要な費用を残してあげるのもいいと思います。
というわけで、「モノを捨てられない私」ですが、帰宅したときに快適と思える部屋にはしておきたいので片付けはしつつも、終活を意識して「もう古いモノだから」という理由で断捨離することはしないようにしています(むしろ古いモノほど思い出があり愛着のあるモノが多く、よれよれになったTシャツなど着心地がよく大好きです)。もし断捨離するとしたら、前向きな生き方をするための断捨離をしてみてはいかがでしょうか。
川村 隆枝
医師・エッセイスト