母もまた娘である…根深い家族問題

実際、祖母のほうがもっときついくらいで、虐待といってもいいくらいの仕打ちを娘である彼女の母親に対してしていたのです。

この祖母は非常に攻撃的なタイプの女性ではあったのですが、自分でビジネスを立ち上げており、家庭よりも仕事に目が向く人であったので、24時間べったり子どもと向き合っていたわけではなく、その点は救いがあったようです。

とはいえ、かなり癖のある性格ではあり、表面を取り繕うタイプというのか、見栄っ張りといえばいいのか、着るものや外に見えるもの……家柄、収入、肩書きなど、こういったものを非常に重視する性質で、その娘であった母親が、100人いれば100人が「ダメ男」と言うであろう父親を選んだのは、こういう祖母の価値観に対する無意識的な抵抗だったのかもしれません。男性は、肩書きや収入ではない! と反抗してみせたかったのでしょうか。

この祖母の苛烈さを思えば、母はそれでもまともなのかもしれない。けれど、感情をコントロールできなくなった母からの仕打ちを受けると、どうしてこういうことが繰り返されるんだろう……という気持ちが止められなくなり、その絶望感に苦しめられてしまった、と彼女は言います。

どうすればこのひずみを正せるのかという気持ちが、彼女が学問を志したきっかけでした。人はもともと家族なのではなく、自立した一個人であることが前提で、そのうえでそれぞれいろいろな複雑な思いを抱えて生きている。そして、その一個人ですら完成されているわけではない。

家庭内の問題も、母娘間の問題に限らず母―息子、父―娘、父―息子、いろいろな関係のなかでのひずみがあり、理想的な関係というのは極めてまれにしか存在しないのかもしれないと、ようやくあきらめがついたのはつい最近のことだといいます。

彼女は摂食障害で長く苦しんでいます。過食嘔吐を繰り返し、学部時代は休学して、1年遅れて卒業しました。結婚もしましたが、長女を出産してからすぐに離婚し、元夫との関係は決して良好とは言えないようです。

これが母娘の問題と関係あるのかどうか、もちろん確たることは言えないのですが、身近な他者を信頼できない感覚と家族問題とは、無関係ではないように思います。

中野 信子
医学博士/脳科学者/認知科学者