「毒親」という言葉が世間に広まり、親との関係を見つめ直す機会も増えてきたなか、自分の中に眠っていたわだかまりに気づくケースも少なくありません。今まで明かされなかった親子関係を科学的に捉え、その仕組みを紐解いていきましょう。中野信子氏による著書『なぜ、愛は毒に変わってしまうのか』(ポプラ社)より、詳しく解説します。

娘の幸せを“許せない”「毒親」たち…テストで100点を取っても褒めない母親の“身勝手すぎる心理”【脳科学者が解説】
娘に抱く「白雪姫コンプレックス」
「白雪姫コンプレックス」というのは、「毒親」というタームよりも早くに精神科医である佐藤紀子医師が提唱している用語です。
その意味するところは娘側から見た視点と母側から見た視点が混在して世間に流布してしまったため、用法にやや整理がついていない印象がありますが、本記事では、母親が娘に対して持つ憎悪を意味する概念として扱っていきます。
グリム童話『白雪姫』は、継母が娘を殺そうとする物語として広く知られています。しかし、実はグリム童話初版本では継母ではなく、実母が娘を殺そうとする物語であった、というのは、今では有名な話でしょう(二版以降では、実母とするのはよくないという配慮が働いたのか、継母に変更されています)。
この物語では、第三者(鏡)に娘と容姿を比較された母親が、娘の美しさを妬んで娘をあの手この手で殺そうとします。
ごく個人的に聞いた話ですが、私にもこんな友人がいます。この友人の母は、母親である自分よりも、子である友人が優れていることが許せなかったようでした。もちろん友人からしか話を聞いてはいませんし、彼女のお母様にはまたお母様の言い分というものがあるでしょう。しかし、友人はそれも理解したうえでなお、自身が受けた仕打ちを忘れられないと言います。
学校のテストで百点を取ってその答案を見せても一切褒められることはなく「そんなテストを自慢げに見せつけるなんて、私をバカにしているの」と吐き捨てるように言う。
子どもが自分よりも優秀なことが許せない、また、無邪気に幸せを享受しているのが許せない、子どもと張り合ってしまう……。母親に愛されたい盛りの子ども時代に、この仕打ちはかなりショックだったことでしょう。そういうタイプの母親の話を、彼女以外からもしばしば聞くことがあります。
もっと自分が心情的に優しい子であったら、などと述懐するように彼女は時折つぶやくことがあります。客観的にみればそのこと自体が「優しい子」である証左のようにも思えます。
彼女は自身のそうした性格――母親の行動を理性的に受け止める性質――が、良かったことなのか、悪かったことなのか、わからないといいます。冷静に受け止めてしまうそのこと自体が「生意気で可愛げがない」と母親に不安感を与えてしまったのではないかと思っているのです。
彼女には妹がいたそうですが、妹は正反対の性格で、母親からは可愛がられていたそうです。妹だったら母と一緒に苦しんであげられたのではないかと彼女は分析しています。