自腹を切って息子の葬儀をあげた母

美紀子さんが筆者の事務所に電話をくれたのは有起哉さんの四十九日法要が終わったタイミングでした。「元嫁があまりにも無責任なので困っています。突然、息子を亡くして心を痛めているのに、そんなことはお構いなしという感じで……」と声を振り絞りますが、何があったのでしょうか?

美紀子さんは有起哉さんの逝去が明らかになったとき、「お父さんの死を伝えないといけない」と思い、まずは元妻にLINEを送ったそう。「お久しぶりです。有起哉の母です。突然のことですが、有起哉が亡くなりました。栄斗君や陸斗君(どちらも息子の名前)には最後に顔を見せてあげたい。お葬式をそちらであげるなら、お任せするつもり」と。

しかし、既読になるものの、元妻からの返事はなし。音声電話やLINE電話をかけても、電話をとる気配はなく、留守番電話にも切り替わりません。

さすがに3日目には葬儀場の担当者から「ドライアイスにも限りがある。早く決めてほしい」と急かされ、美紀子さんは元妻の返事を待たず、通夜や葬儀をあげ、火葬を行い、とりあえず、遺骨を預かることに。そしてアパートの部屋も引き払い、スマートフォンや財布、銀行の通帳や保険の証券以外の遺品を処分。筆者が「諸費用(95万円)はどうしたんですか?」と尋ねると美紀子さんは「自腹を切りました」と答えます。

2019年から葬儀等の費用を故人の口座から支払うため、いったん凍結を解除し、出金できるように金融機関に申し入れる制度が始まりました。しかし、この制度を利用できるのは相続人のみ。今回の場合、相続人は二人の息子だけ(民法887条)。母親(美紀子さん)は相続人ではないので、金融機関へ仮払いを申請できなかったのです。

<葬儀等にかかった費用の一覧(95万円)>

葬儀代(香典で足りない分)60万円

遺体検案費用6万円

埋葬(前払)2万円

火葬5万円

家財等の処分15万円

家賃の滞納分7万円

元妻からの反応があったのは四十九日のタイミングでした。「財産関係をすべて引き渡してください」と。有起哉さんと元妻は夫婦だった二人です。美紀子さんは「『お悔み申し上げます』の一言くらいあってもいいのに…」と嘆きます。長男、次男はまだ二人とも未成年です。この場合、親権者である元妻が子どもに代わって交渉できます(民法824条)。

とはいえ美紀子さんは元妻からの要求を拒むつもりはありませんでした。しかし、条件があります。それは遺産のなかから葬儀等の費用(95万円)を繰り戻すこと。美紀子さんがすべてを取り仕切ったのは元妻がずっと無視し続けたから。「代わりにやってくださり、申し訳ありません」と思っていれば、その条件をのむでしょう。しかし、しかし、元妻は「勝手にやったことですよね? 頼んだつもりはありませんから!」と言い放ったのです。

葬儀費用を負担するのは喪主、相続人のどちらなのか。これは裁判所の見解が分かれますが、筆者は美紀子さんに「相続人が負担すべき」と判断した判例(津地裁・平成14年7月26日判決、東京地裁・平成18年10月19日判決)だけ伝えました。

美紀子さんはそのことを踏まえた上で「何もせずに放置して(有起哉さんを)腐らせるわけにいかないでしょ。私がやらざるを得なかったのよ。私の気持ちも考えてください」と切り返したのです。

子供たちに会えないままだった息子

当時、元妻は有起哉さんの遺産がいくらなのか。正確な金額を知らなかったでしょう。それでも(死亡)退職金、生命保険、そして自宅を合わせれば、かなりの金額になることは予想できたはずです。実際のところ、資産から負債を差し引いた金額は2,529万円。

しかも、有起哉さんは住宅ローンを組んだ銀行で団体信用生命保険(=団信)に加入しています。団信とは債務者(有起哉さん)が途中で亡くなった場合、その時点のローン残債と同額の保険金が支給されるものです。そして保険金は優先的にローン返済(逝去時は2,270万円)に充てられます。

つまり、自宅はローンなしの状態で二人の子どもが相続するのです。そう考えると住宅ローンは負債から削除することができ、遺産の価値は4,799万円まで膨れ上がります。

一方、美紀子さんの請求額はわずか95万円です。筆者は「95万円を渋って、4,799万円の受取が遅れるのでは本末転倒ですよ」と励ましました。最終的には美紀子さんの必死の訴えが通り、元妻は遺産相続が終わったタイミングで95万円を返すことを約束したのです。

美紀子さんはその約束を信用し、元妻に通帳や証書、権利証などを引き渡したのです。美紀子さんが元妻に会ったのは実に9年ぶりでした。そこで元妻は「彼(有起哉さん)のことなんて覚えていませんよ。一度も会わせていないんだから」と捨て台詞を吐いたのです。有起哉さんが「会わせてほしい」と頼んでも元妻は無視し続けたことが明らかになりました。つまり、有起哉さんは何の報いもなく、毎月9万円を負担し続けたのです。

有起哉さんのように離婚歴がある男性が亡くなった場合、相続人ではない人間が喪主をつとめることがあります。その場合、葬儀等の費用をめぐってトラブルが起こる可能性があります。そのことは前もって知っておいたほうが良いでしょう。

露木 幸彦
露木行政書士事務所
行政書士・ファイナンシャルプランナー