N響の顔として国内外で活躍する篠崎史紀氏は、1歳11ヵ月のときに初めてヴァイオリンを構えたといいます。音楽を習う子どもの家庭は厳しいものを想像してしまいますが、そうではなかったのだそうです。“音楽会の異端児”を育てた篠崎氏の両親がもつ教育観はどういったものなのでしょうか。篠崎氏の著書『音楽が人智を超える瞬間』(ポプラ新書)より、詳しくみていきましょう。
ウチの子をヴァイオリニストにさせたいんです…教育熱心な親に“幼児教育のプロ”が言い放った「まさかの回答」
ヴァイオリンを弾くのは歯磨きと同じ
両親は長年にわたり、北九州市で音楽を通じた幼児教育教室を開いている。父も母も80代後半だが、いまだに現役だ。
二人は「才能教育」で有名な音楽教育家の鈴木鎮一先生が戦後すぐに開設した「松本音楽院」で、音楽を通じて人の心を豊かにする教育法「スズキ・メソード」を学んだ。
「ヴァイオリンを弾くことはけっして特別な才能ではない。言葉を話すのと一緒で、誰だって3歳からやれば楽しく音楽と接することができるようになる」というのが鈴木先生の信念。父の教え方も、「教える」のではなく「育てる」だ。
幼い頃からヴァイオリンを習っていたというと、英才教育を受けたと思われることが多い。モーツァルトの父親は息子の才能を見出し、厳しく教育し、宮廷社会に売り出した。音楽を志すイコール親が厳しく指導するという印象があるのかもしれない。
だが、父と私の関係はまったく違った。我が家にはあちこちにヴァイオリンが置いてあった。ベビーベッドの中にも置いてあったらしい。私はおもちゃと同じように、好きなように触り、時にかじったりしながら遊んでいた。
はじめてヴァイオリンを構えたのは1歳11カ月の頃。教室に習いに来る子どもたちの真似をして一番小さい16分の1サイズのヴァイオリンを顎にはさみ、台の上に立っておじぎをしたという。両親を含め、周りにいた人たちが盛り上がり、大きな拍手を送ってくれたのだろう。それ以来、スリッパやタオルを顎にはさんで上機嫌だったらしい。
両親の教室では年に4回の発表会がある。そのうちの3回は一人で弾き、残りの1回は合奏。生徒のおにいさん、おねえさんたちがステージ上に立っているのを見た私は、オープンリール(今の人はわからないかもしれないが、磁気テープがむき出しのままリールに巻かれているもの)のテープレコーダーの上に乗り、ヴァイオリンを構えて待っていた。
自分も高いところに上って構えれば、拍手をもらえると思っていたのかもしれない。
その後、3歳でヴァイオリンを始め、私も発表会に出るようになった。
一人で弾いて拍手をもらうのも嬉しかったが、年1回の合奏が好きだった。年上の生徒たちも、大人たちも、自分が3歳で弾いた曲を一緒に弾いてくれる。小さな自分でも、大人と一緒に音を出して一つの曲を演奏できることがすごく嬉しかった。みんなで演奏することが楽しいと感じたのは、このときが最初だろう。
うちに訪ねてくるのは、ヴァイオリンを習いに来る人ばかりだった。庭で飼っていた犬も、楽器のケースを持っている人には吠えなかった。私は幼稚園に入るまでは、人間はみんなヴァイオリンを弾くものだと思っていた。
家ではいつもヴァイオリンの音が鳴っていた。私にとってヴァイオリンを弾くのは歯磨きをするのと同じ感覚だった。歯を磨かなかったら気持ちが悪いように、一日でも楽器を触らないと気持ち悪かった。