16歳、目の前に積まれた100万円でヨーロッパに

1979年、高校2年生の春、父が私の目の前に100万円の札束をポンと置いた。

「おまえ、海外に行ってみたいだろう。これを持って遊びに行ってこい」

父はにやっと笑って、目を丸くしている私に言った。後述するが、両親は地元、北九州で篠崎バイオリンスクール(現・篠崎ミュージックアカデミー)を主宰。父はヴァイオリンとチェロの講師を務めている。

母は幼児教育の専門家で、子どもたちにヴァイオリンを教えている。私は両親からヴァイオリンの指導を受け、中学、高校と、地元のアマチュアオーケストラで活動していた。

その頃の私といえば好奇心いっぱいの16歳。広い世界を見てみたい。答えはもちろん「行く」。出発は夏休み。行き先は未定だ。

翌朝には、家のあちこちにヨーロッパの写真集などが置いてあった。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の写真集をめくると、舞台となったオーストリアのザルツブルクやアルプスの山々や中世から残る古い街並みが目に飛び込んできた。

ザルツブルクはモーツァルト生誕の地で、夏には音楽祭が開催される。そのほかにも夏季にヨーロッパ各地で開催される音楽講習会のパンフレットや、体験談を書いた本が置いてあった。

クラシック音楽をやっているのだから、偉大な音楽家が生まれたヨーロッパの国々にもちろん興味はある。だが、それよりもまず先に頭に浮かんだのは映画「007」の世界だった。小学生の頃、地元の映画館で観た007シリーズのジェームズ・ボンドに憧れて「008」を目指していた時期もある。

家にはベネチアの写真集も置いてあって、そこには「007/ムーンレイカー」の予告編で見たサン・マルコ広場や運河をわたるゴンドラが写っていた。

すっかりその気になり、いろいろ調べてみた結果、音楽講習会を受けるツアーに参加することになった。結局は父のてのひらで転がされたというのか、まんまとひっかかったというのか。完全にはめられたというわけだ。

でも選んだのは自分。せっかく行くことにしたのだから、何かを得てこようと思ってしまうのも、私の持って生まれた性分だ。

両親が子どもに教えるときはいつも、一人ひとりをよく観察して、その子に合ったやり方を見つけていた。得意なものを伸ばしていた。

私の場合、大人になった今でもそうなのだが、自分がワクワクすることしかやらない子どもだった。そんな私に、最初から「夏休みはヨーロッパで音楽の勉強をしてこい」と言っても素直に首を縦に振るわけがない。父はすべてお見通しだったのだ。

それにしても私が留学したのは半世紀近く前。ヨーロッパは今よりずっと遠かった。インターネットがあるわけじゃないから連絡はすぐに取れない。国際電話の料金は当時1分で1,700円くらいしたので、しょっちゅうかけるわけにはいかない。

スマートフォンがない世界なんて若い人は想像できないかもしれないけれど、スマートフォンが翻訳してくれるわけじゃない。わからない言葉があったら辞書で調べる。行きたい場所があったら紙の地図を見て行く。

そんな場所に、うちの父は「行ってらっしゃーい」と、まるで近所に遊びに行くようなノリで送りだした。今思うと信じがたい。

ワクワクすることが大好きな私の性分は、父譲りなのかもしれない。