毎年、家族で実家に帰省し、親戚一同で集まるお盆。そもそもお盆とは、亡くなった方が現世に戻ってくる期間であることは広く知られていますが、その由来やなぜお盆の時期に盆踊りや花火大会が行われるのかについては知らない方も多いのではないでしょうか? 本記事では、山陰地方で呉服店を経営、和と着物の専門家である池田訓之氏がお盆について解説します。
お盆はいつごろからどのようにして始まったのか
由来
日本では、お盆の時期になると、仕事や結婚などで都会に出ていた人達が、何十キロメートルにもおよぶ高速道の渋滞、電車や飛行機など交通機関の大混雑を経てでも故郷へ帰ろうとします。これは外国にはない日本独特の風習です。ここまで日本人を故郷へと駆り立てるお盆とはどのようなものなのでしょうか?
まず、お盆という言葉は「逆さづり」という仏教用語から来ていることをご存じでしょうか。お盆は仏教用語の盂蘭盆(うらぼん)または盂蘭盆会(うらぼんえ)が略された言葉ですが、この盂蘭盆とはサンスクリット語で「ウランバーナー~逆さに吊り下げられた苦しみ」を意味するのです。
盂蘭盆経(うらぼん)という仏教の経典にこんな話があります。仏教を開かれたお釈迦様の弟子の目連尊者が、あるとき、神通力によって、亡き母が餓鬼道に落ち逆さ吊りにされて苦しんでいると知りました。
そこで、どうしたら母親を救えるのかお釈迦様に相談に行くと、お釈迦様は、「お前が多くの人に施しをすれば母親は救われる」と答えられました。そこで、目連尊者は、夏の修行期間のあける7月15日に多くの僧たちに飲食物をささげて供養したのです。
すると、その功徳によって母親は、極楽往生がとげられたのでした。その後この時期に先祖を弔うために行われるようになった仏教行事を盂蘭盆と呼び、これが日本の庶民のあいだではお盆と呼ばれるようになったのでした。
日本では、もともと夏に先祖の霊を祀る習慣があったこともあり、お盆の行事が広まります。斉明天皇の657年に仏教形式でのお盆の法要が初めて営まれ、その後は武家・貴族・僧侶など宮廷の上層階級に広まり、一般庶民に広まったのは江戸時代です。
庶民のあいだにも仏壇が普及し、ともにお盆の行事が知れわたったこと、またロウソクが大量生産によって安価に入手できるようになり盆提灯を庶民も手に入れられるようになったからです。
日本でのお盆は、太陰暦(旧暦)では7月15日を中心に行われるとされていましたが、明治5年の改暦後の現在の新暦では、ほぼ一ヵ月ずれるので、一般的には8月15日を中心に、13日から16日に施されるようになりました。
行事
まず、あの世から帰ってきたご先祖様を祀るための精霊棚(盆棚)を設けます。位牌を安置しお供えをします。棚に茄子(ナス)で作った牛や胡瓜(キュウリ)の馬が備えてあるのを見かけませんか。これは、ご先祖様の霊が牛に荷を引かせ、馬に乗って行き来するという言い伝えによります。周りには盆提灯を飾り、ご先祖様の霊を棚へ誘導します。
13日の夕方か夜に菩提寺とお墓に参り、祖先の霊を迎えます。ロウソクをたて、その火を提灯にともして家に持ち帰る。この火で玄関先でオガラ(麻の茎を束ねたもの)を燃やし場を清めます。立ち上がる煙にのり炎を目印にしてご先祖さまが帰ってこられるわけです(迎え火)。
帰ってこられたご先祖の霊は精霊棚に宿られます。迎えたご先祖様に対して極楽浄土でのさらなる安寧を願い、念仏を唱え供養をします。また先祖様と共に食事をするという意味で食べ物をお供えするなどして、ともに時をすごします。
そして、15日のお盆が終わると、ご先祖様を翌日の16日にはあの世に送り返します。玄関でオガラを燃やし(送り火)、提灯をお墓まで持って行き消す。こうしてお盆の間の一緒にすごしたご祖先を見送るのです。