近年増加する、熟年離婚。もうすぐ65歳を迎える土屋正広さん(仮名)も、妻との不仲に悩む一人です。本気で離婚を決意した彼が「ある事実」を知り、離婚の意思を撤回します。一体、彼の身に何が起こったのか? 年齢差のある夫婦であれば、決して人ごとではない事例を、ファイナンシャルプランナーである辻本剛士氏が解説します。
アナタの洗濯物、もう洗いたくないの…優しさのカケラもない年下モラハラ妻に、〈年金月18万円〉の65歳・元会社員「離婚」を決意も、「まさかの年金ルール」を知り、秒で撤回したワケ【FPの助言】
ねんきん定期便を確認した夫から大きなため息がもれる
土屋正広さん(仮名・64歳)は、妻の愛さん(仮名・59歳)と2人暮らしです。2人の息子がいますが、両方とも妻子を持ち、それぞれ遠方で暮らしています。正広さんは中小企業で配達ドライバーとして長年勤務し、60歳の定年を迎えた際には事務員として再雇用されました。
定年時には、退職金として1,000万円を受け取り、そのうち500万円は住宅ローンの返済に充て、残りは貯金に回しました。
正広さんは実直で真面目な性格ですが、控えめで寡黙なタイプ。家族とのコミュニケーションもそこそこの、いわゆる「仕事人間」でした。一方で、妻の愛さんは、夫とは正反対の気が強い性格。専業主婦として2人の子どもを育て上げ、家庭を支えてきたという自負もあり、5歳年上の口下手な夫に臆することなく、自分の意向を押し通す「強い妻」でした。
結婚当初は、「口下手な夫」と「よくしゃべる気の強い妻」という正反対な組み合わせの夫婦は、案外バランスがよかったのか、正広さんは外で稼ぎ、愛さんは家庭を守る、という役割分担で、平和に過ごしていました。しかし、定年を迎えた正広さんが嘱託職員として働くこととなり、収入は月収24万円となったあたりから、愛さんの態度に異変が起こり始めました。
「お父さんは稼ぎが減ったし、家にいる時間も増えた。私はいつもの家事だけじゃなくて、お父さんの食事の支度もしなきゃいけないし、家計のやりくりのことも考えないといけないから大変なのよ!」
更年期に差し掛かっていたこともあり、イライラした態度を隠すことなく正広さんにぶつけてくるように。寡黙な正広さんはそんな妻の様子に内心うんざりしつつも、言い返すようなことはせず、妻の機嫌が治るまで、リビングから姿を消し、自室にこもっていました。
さらに、正広さんが65歳になるタイミングで、収入が月6万円も少なくなることが判明。愛さんのイラつきは、エスカレートする一方です。
現役時代には、月収が50万円を超えることもあった正広さんでしたが、子どもの教育費や住宅ローンの返済などで、老後の貯蓄にそこまで力を入れていなかった土屋家。愛さんも子どもが手を離れてからは、パートで働いていた時期もあったのですが、その気の強い性格が災いし、人間関係がうまくいかず、いつも長くは続かずでした。愛さん自身、正広さんの収入がここまで下がるとは思ってもみなかったのでしょう。「無理して働くこともないでしょ」と専業主婦生活を謳歌していました。
「こんなにお給料が減ること、わかってなかったの? 私たち、これからどうするの?」とヒステリックになじる妻に、「今さら騒いだって、どうしようもないだろう? こうなったら、お前もまた働いてくれないか? まだ60前だし、雇ってもらえるだろ」と、正広さんは頼みました。
「こんな歳でまた外で働くなんて嫌よ! ほんと甲斐性がないわね、アナタって人は。話してるだけで気分が悪いわ。ねぇ、いいタイミングだから言うけど、明日からは、アナタの洗濯物、自分で洗ってくれる? 私、もう疲れちゃった」
あまりに酷い物言いに、さすがの正広さんも怒りが爆発します。
「いい加減にしろよ! なんでそんな言い方しかできないんだよ!」
「もう限界だ。こんな妻はいらん」と、怒りに震える正広さんの脳裏に「離婚」の2文字がちらつきます。それから、お互い口を聞かず、1週間ほど「冷戦状態」が続きました。
そんなある日のこと、土屋さん夫婦のもとに、「ねんきん定期便」が届きます。正広さんは、届いたねんきん定期便を開封し、そのなかに記載されている年金見込み額を確認して、思わず深いため息がもれました。
年金受給額は月18万円、嘱託職員の収入より少なくなってしまう
ねんきん定期便には、正広さんが65歳から受け取る年金見込み額が、「18万円」と記載されています。年金額が少ないことは予想していたものの、現実に直面すると、その厳しさに改めて気づかされます。
というのも、息子の結婚費用や自宅の大規模修繕などの急な出費がかさみ、現在の貯金は300万円まで目減りしていたのです。毎月の生活費は23万円で、老後生活に入ると収入は18万円に下がるため、毎月5万円の赤字を計上することになります。このままでは5年で資金が枯渇してしまう計算です。
「これからどう老後を過ごせばいいのだろうか」
正広さんは、焦りと不安で、絶望的な気持ちとなっていました。