悔しい、悲しい…でもやっぱり「かっけ~!」

――藤原定子の最期のシーンについて

もちろん亡くなるシーンっていうのは悲しいですけれども、お別れのシーンなので。ただ個人的には、別れのシーンより、やっぱり最後に二人で過ごしたシーンのほうが悲しくて。なぜならそれは(定子さまが)いなくなっちゃうのがわかっているから悲しいんですけど。

だから亡くなっていくシーンはむしろ悔しい。隣で伊周が泣き怒っているそばでたたずんでいますけれども、気持ちは伊周と同じだなと思いながら「なんでこんなふうになっちゃうんだろう」「どうして彼女はこんな悲しい人生を歩まなければならなかったんだろう」という。やっぱり解せないというか、悔しい悲しい怒りみたいなことのほうが大きくて。

(C)NHK
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それでやっぱり改めて「素晴らしい人だな、定子は」と思ったところが、最期の定子の辞世の句が几帳のところに結んであって、ききょうがそれを見つけて伊周に渡すというシーンですけど。あそこに歌がくくりつけられてあるということは、定子はどこかで悟っていたのかもしれない。

心も体もいろんなものに蝕まれているような状況を察して、そしてみごもった最後の3人目の子どもを産むときに「もしかしたら私、産んだらいなくなるかもしれない」と、どこかにわずかによぎっていたからなのか、というふうに感じるわけですよね。

結んである瞬間に、遺書というかその覚悟、そして産んで彼女の命を全うして、残された人たちに最後生きた証というのを、歌とともに命とともに残して消えていったというのが、本当に「さすが私の推し」というか。「この人にお仕えしていてよかった」というのが、あの手紙を見つけて開く瞬間にわ~っとあふれ出たものはありましたね。

「かっけ~!」って。本当に登場から最後までずっとまっすぐ一本の軸を持って生き続けた。かっこいいっす。最高!

(C)NHK
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