母・女院・姑…様々な立場から見る「一条天皇」の姿

――息子・一条天皇について

彼はまだ若いので、経験値が足りないゆえに影響を受けやすいところもあって、帝(みかど)としてはまだまだ心もないですけれども、よくやっていると、母としては思っているところです。

特に伊周らの処遇を下すあたりは、帝として内裏の安寧(あんねい)をはかるために、正しい判断を下されて、母としても、女院(にょいん)としても、安堵(あんど)しております。

ただ一つ心配事があるとすれば、愛する者への一途(いちず)な思いといいますか、それは皮肉にも母の詮子譲りなところもあって、そういう熱情に浮かされて判断を誤るのではと、母として、また女院として、さらには姑(しゅうとめ)として、心配しているところではあります。

大河ドラマ『光る君へ』場面写真
(C)NHK

「失いつくした人生」で詮子に残されたもの

――「母上の操り人形でした」と言われるシーン

思ってもいないことばで、初めて台本を読んだときに「え?」って声が出てしまいました。これまで彼女は藤原のために、そして息子のために、弟(道長)のために、我が身をささげてきましたし、誰にも愛されない彼女の人生において、それが彼女なりの愛の形であり、生きる意味だったと思うんですよね。

なので、それは息子にも伝わっていると思っていたんですけど、彼の完全なる拒絶によって、これまでの人生をすべて否定されたような、そんな気持ちにもなりました。と同時に、自分と同じ思いを彼にさせてきたのかもしれないという後悔もありますし、動揺もしましたし、失いつくしてきたこの彼女の人生の中で、なおも失うのかという絶望感にさいなまれた、そういう瞬間でもありました。

ただ、このシーンのあとを想像したときに、また一つ家族の愛を失った彼女は、いよいよ残されている守るべきものは家だと。藤原家だと。というふうにシフトチェンジして心を立て直していく、そういうきっかけにもなったシーンなのかなと思っています。

大河ドラマ『光る君へ』場面写真
(C)NHK

『光る君へ』

『光る君へ』は、平安時代中期の貴族社会を舞台に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた紫式部(まひろ)が主人公。のちの紫式部であるまひろが、藤原道長への思い、そして秘めた情熱とたぐいまれな想像力で「光源氏=光る君」のストーリーを紡いでゆく姿を描く。脚本を手掛けるのは、『セカンドバージン』や『知らなくていいコト』『恋する母たち』などで知られる大石静さんで、今回が2度目の大河ドラマ執筆となる。

THE GOLD 60編集部