老化現象を受け入れられない苦しみ

ある70代の男性は、筋骨隆々で診察室に入ってくるときから胸を張り、肩を怒らせていかにも若さをアピールしているようでした。健康診断の問診をするとこう答えました。

「15分ほど歩くと脚が痛くて歩けなくなるんです。少し休むとまた歩けます。整形外科で診てもらったら、脊柱管狭窄症だと言われました。若いころから筋トレをして、不摂生もせず、健康に万全を期してきたのに、なぜこんな病気になるんですか」

脊柱管狭窄症は、脊椎の管が狭くなって神経が圧迫される病気で、脚に痺れや痛みが出ます。70代では特に珍しいものではありませんが、男性は不本意で仕方ないという顔でした。

「筋トレもやりすぎると骨に負担をかけますから、そのせいかもしれませんね」私が言うと、とても受け入れられないという表情をしたので、私はこう補足しました。

「脊柱管狭窄症は病気のような名前がついていますが、自然な老化現象でもあります。長年、身体を使っていることによる症状ですから」

すると男性は気色ばみ、「私はまだ72ですよ。若いときから鍛えてきたのに、老化現象などあり得ないでしょう。人生100年時代なんですから、70代はまだまだ現役じゃないですか。ましてや私はこれまで大病もせず、血圧も血液検査も心電図も正常で、タバコも吸わないし、肥満もしていないのに、なぜ脚が痛くなるんですか」

血圧も血液検査も心電図も、脊柱管狭窄症とは何の関係もありませんが、男性の頭の中では「健康関連」ということでひとまとめになっているようです。脚が痛いのは気の毒ですが、老化による不具合はだれにも止められません。それを拒むことが、いたずらに怒りや不満を強めているように見えました。

別の50代の女性は、左の足がよくつると言い、「水分が足りないのでしょうか」と聞くので、「それは関係ないと思いますよ」と答えると、「でも、よく言うじゃないですか、水が足りないと脚がつると」と不審そうな表情をしました。答えずにいると、

「でも、左の足だけがつるのは、左の筋肉に問題があるということでしょう。筋肉を鍛えようと思って、フラメンコは習っているんですけど、やりすぎて足首を痛めて、湿布を貼ってますけど、なかなか痛みが取れなくて。腰椎すべり症の手術もしたんですが、それが悪かったのでしょうか。もう一度、手術をしたほうがいいでしょうか。フラメンコを踊っているときでも身体がふらつくし、背骨もまっすぐ伸びなくていい形にならないんです。どうしたらいいんでしょうか」などと、取り留めなくしゃべります。

うまく答えられないので、「年齢的な変化もありますからね」と、老化現象を仄めかすと、とたんに顔が強こわばり、うなずきもしませんでした。「そうですね」と、苦笑しながらでも納得してくれるかと思ったのですが、甘かったようです。

老化現象を鷹揚に受け入れる人もいますが、頑として拒む人もいます。前者は穏やかですが、後者は苛立ち、不満、怒りなどに顔を引きつらせています。

93歳で亡くなった私の母親は、老いていろいろなことができなくなったことを嘆き、それでも何とか受け入れようと努力していました。亡くなる直前まで独り暮らしをしていたので、一般に比べればずいぶん健康だと思っていましたが、本人は情けない、歯がゆい、と悔やんでいました。

もっと若くして寝たきりや半身不随になる人が大勢いるのに、元気なころの自分と比べるので、どうしても落ち込むのです。排泄機能も低下して、尿失禁があるようでしたが、おむつは頑として受け入れず、尿取りパッドで凌いでいました。おむつはプライドが許さなかったようです。

逆に87歳で亡くなった私の父は、老いを受け入れ、亡くなる一年あまり前から腰椎圧迫骨折のため寝たきりとなっていましたが、早々におむつにして平気な顔をしていました。

「年を取ったら赤ちゃんに還るんや」

そう言っていましたから、精神面ではごく落ち着いていました。

久坂部 羊
小説家・医師