余計な義理は「三欠く法」で大丈夫

夏目漱石は『吾輩は猫である』の中で、合理的な人づきあいについて「義理をかく、人情をかく、恥をかくの『三欠く』を実行すべし」と書いていますが、この言葉は中高年にこそふさわしい名言といえます。本来は無駄な出費を控えて節約しようという意図でいわれたフレーズですが、むしろ老後の人間関係に当てはめる方がぴったりきます。


やっと社会的な制約から離れて過ごせるようになったのですから、無理をしてまで人づきあいをする必要はないと思うのです。社交的な性格で大勢の人と接するのが大好きという人なら、つきあいを避ける理由はありませんが、シンプルに生きたい中高年にとっては、建前だけのつきあいは負担に思えるでしょう。


もちろん、法事やお葬式のようになかなか避けて通れない場もありますが、60歳を過ぎた頃からは100%はおつきあいをしなくてもいいのではないでしょうか。当主として家を継いだ場合などを除けば、親戚づき合いや冠婚葬祭も都合によってパスするケースも出てくるでしょう。


ある程度の年齢になると、友人や親戚を見送る機会も増えますが、ご葬儀のすべてに参列してお香典を包んでいたのでは、経済的負担も大きくなってしまいます。だから葬儀の場合、どこかで境界線を引いて、参加不参加を決めなければなりません。


その基準はあくまでも自分の気持ちですから、どうしてもお見送りがしたいと思ったら、どんな遠方でも出向くのが自然です。しかし、よほど縁の深い人の場合を除いては、弔電やお便りでお悔やみを申し上げるだけでも失礼には当たらないでしょう。


また、これは冠婚葬祭に招く側の手間や負担を軽くするという意味もありますから、単なる不義理とはいえません。「大変なのはお互いさま」という考え方もありますが、若い頃はそれでよくても、歳をとると、招く側の負担も大きくなります。


出向く方も迎える方も同様なのですから、お互いが「気持ちだけ」で簡素にすませても文句は出ないでしょう。ただし、足を運ばなかったのなら、丁寧なお便りを差し上げるようにしましょう。セレモニーへの不参加を電話やメールですませたのでは、ちょっと軽すぎるかもしれません。

そして、義理を廃して人間関係を絞った分、本当に大切な人とのおつきあいについては密度を高めていけばいいのです。老後のつきあいは「義理堅く」ではなく、「自分の心に正直に」。漱石の言う「三欠く法」を見習ってみてはどうでしょうか。