老後年金だけでは暮らせない時代となったいま、「定年後のキャリア」をどのように考えるべきか……金澤美冬氏の著書『おじさんの定年前の準備、定年後のスタート 今こそプロティアン・ライフキャリア実践!』(総合法令出版)より、現役世代の“生の声”をみていきましょう。
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「小中6つの転校」で、あらゆる環境への順応力が培われた
定年退職2年前より準備をし、定年後1年半で仕事につながった――三井宏文さん(62歳/定年から2年)
<略歴>
1959年大分県生まれ。父親が生命保険会社に勤務していたため転勤が多く小学校を4つ、中学校を2つ転校しながら大分、鳥取、宮崎県などで幼少期を過ごす。
大学時代に京都で1人暮らしを始め、家庭教師、映画のエキストラ、中学校の修学旅行の添乗員など様々なアルバイトを経験。
大学卒業後、大手損害保険会社に就職。途中、関連会社に出向・転籍するも、基本的には損保営業一筋。その間は仙台、静岡、東京、大阪、名古屋、福岡とたびたび転勤があった。
定年退職する2年ほど前より、セカンドキャリアの方向性を考え「定年退職」や「専業主夫」に関する本を60冊以上を読み、実践に取り組む。
現在は、個人事業主として人材紹介業、おじさん向けセミナー講師、結婚相談業などを行っている。また、35歳から始めたマラソンはこれまでに315大会に参加している。
<資格・取り組み>
キャリアコンサルタント資格を取得。これを武器に大学のキャリアセンターでアドバイスを行う講師を目指したが、60歳という年齢から書類選考で落とされていた。また、企業向けに研修を行う会社にも講師として数社応募をしたものの、やはり書類選考で落とされた。そういった就職応募の中で、当時人材紹介事業を行っていたプロティアン株式会社の金澤美冬と出会う。のちにビジネスパートナーとなった。
――お父さまが生命保険会社にお勤めだった関係で、小さい頃は転校することが多かったようですね。
三井:小学校を4つ、中学校を2つ経験しました。転校が多かったことは宿命でした。ただ辛かった記憶はなく、むしろ自分なりには楽しんでいました。
例えば、4月1日に転勤があるとします。家族にはその2ヶ月前に会社から内示があります。これは内密にしておかなければいけないことで、3月1日まで誰にも喋っちゃいけないんです。
もちろん、学校の友達にもずっと伝えるのを我慢しなければいけないのですが、「寂しい」という思いは意外となくて、「再来月にはこの学校から自分はいなくなる」「新しい学校はどんなところだろうか」みたいな、楽しむ気持ちのほうが強かったです。
おそらくですが、こういった育ち方をしているので、営業の仕事もスンナリできたし、あらゆる環境に順応する力が培われたかもしれません(笑)。
――後に京都の大学に入学し、新卒で大手損害保険会社に就職されます。
三井:入社後すぐに急性肝炎で入院して、3ヶ月半休職するという新入社員でした(笑)。
クビにならなくて良かったですけど、それからずっと損保営業をしていました。やはり転勤は多かったですけど、でも仕事自体は楽しかったし、社会的貢献度も高いし、あと給料も良かったので転職を考えたことはありませんでした。