老後年金だけでは暮らせない時代となったいま、「定年後のキャリア」をどのように考えるべきか……金澤美冬氏の著書『おじさんの定年前の準備、定年後のスタート 今こそプロティアン・ライフキャリア実践!』(総合法令出版)より、現役世代の“生の声”をみていきましょう。
自衛隊独自の制度により「54歳」で定年退職…60歳・元航空自衛官が掴み取った「定年後」のキャリア【インタビュー】
高校時代は50キロ自転車通学、通信教育で大学卒業…努力家の竹丸さん
航空自衛隊在職中、大学卒業・行政書士資格取得。退職後に切り開いた〝日本語教師〟の道―― 竹丸勇二さん(60歳/定年から6年)
<略歴>
1961年鹿児島県生まれ。高校卒業後、航空自衛隊に入隊。働きながら大学の通信教育を5年かけて卒業。航空自衛隊では、教育職、心理カウンセラー、編成部隊准曹士専任という役職に就いていた。
定年時、雇用延長は考えておらず、航空会社、損保会社、警備保障会社などの就職をすすめられたが全て断り、「早くなりたい」と考えていた日本語教師に。
退職後に大手日本語学校の専任講師になったが、前職での学生に対する教育法と大きなギャップがあり、新たな教育法を一から学び直す。
現在は、日本語教師の経験をさらに広げ、日本で就労する外国人の日本語教育、受入企業側の研修サービス、日本語教師に対する教育メソッドの研修を行う株式会社エルロンの執行役員。
また、国内外の日本語教師520名が集う日本語教師アイディア塾の塾長。今は組織を離れて「個」が自分の足で立つ時代、「仲間を大切にし、共に学び合い、強く、しなやかに生きていきたい」と語る。
<資格・取り組み>
航空自衛隊を定年退職する2年ほど前より、毎日約4時間の学習を行い行政書士の資格を取得。また、420時間の日本語教師養成講座を受け、告示されている学校で働くことができる資格を取得。
――竹丸さんは航空自衛隊ご出身で、外国人向け日本語教師を経て、現在は日本語研修サービスを行う会社の執行役員でいらっしゃいます。経緯を教えてください。
竹丸:はい。中学・高校では柔道をやっており、また高校が越境通学だったため毎日50キロを自転車で移動するなどしていました。
私自身、柔道を真剣に取り組んでいたわけではなかったのですが、うちの高校に陸上自衛隊の方や警察署の方も練習に来ていたんです。また柔道部が県下で1位になったりしていたことで、こういった方から「自衛隊員にならないか?」「警察官にならないか?」とたびたびお声がけをいただいていました。
しかし、当時の私はどちらにも興味が持てず、「何がしたいか」を考えた際、「空を飛んでみたいな」と思い、航空自衛隊に就職することを決めました(笑)。陸上自衛隊の方も警察署の方も驚かれていました。
自衛隊入隊後は、主に教育職に
入隊してからの夢は、一つは「パイロットになる」、もう一つは「自衛隊の法務官になる」というものです。
いずれも中央大学の通信教育から勉強を始めたのですが、職務との両立ということもありましたし、卒論で一度失敗しまして、4年で卒業することができず、5年かけて卒業しました。
――パイロットや法務官にはなれたのですか?
竹丸:それがなれなかったんです。下肢静脈瘤という病気が航空身体検査で発見され、一次試験は合格したものの、結局二次試験で落とされ採用されませんでした。それから15年ぐらいジェット機の整備を行っていました。
また当時、自衛隊は自殺率が高く鬱になる人も多かったため、メンタルヘルスをフォローする部署ができ、私はそこで隊員のカウンセリングを行うためのトレーニングを受けていたこともあります。
さらに、航空自衛隊が事故を起こすと社会からの信頼が揺らぎますので、事故防止のために隊員をよく見て、指導できるシステムを作ろうということになり、准曹士先任制度ができ、その第1期の准曹士先任になりました。
航空自衛隊の指揮官が隊員の服務に関して命令を出す前に私のところに来て「こういう命令を出そうと思うが、どうだろうか」という相談に対して助言をするという仕事でした。