「性格の悪化」もあるが、良い変化も

三番目は精神力の喪失です。精神機能の低下で、意欲や興味、関心や好奇心が減退し、不安や心配、悪い予測や不都合な推測などが増大します。判断力も低下し、考えがまとまらない思考渋滞、思い込みによる被害妄想、不如意に対する嘆き、老いてしまったことへの悲しみなど、心は悪いほうへとばかり傾きがちです。

過去に得た知識や経験に依存するため、保守的、内向的、消極的、悲観的になり、気分は明るくなりません。若いうちに仕事に打ち込み、働くことしか知らない人は、余暇を楽しむ方法に疎く、せっかくの自由な時間に無聊(ぶりょう)を託(かこ)つことになります。

性格も変化し、頑固で嫉妬深くなり、猜疑心が強まって、依存的になり、意地悪でわがまま、自己中心的かつ自己肯定的で、都合の悪い事実は否認し、何かというと自己憐憫をもよおします。これらは老年期の体力低下で、生きること自体が負担になるため、若いころには維持していた自制心や忍耐力が失われるために生じる性格の悪化です。

しかし、よい変化もあり得ます。「老性自覚」と呼ばれるもので、死が近いことを意識することで、執着を捨て、現実を受け入れて、精神的な安定を得ます。死が避けられないことに対する一種の防衛機構で、抵抗しないことで安らぎを得る戦術です(抵抗すると苦しみますので)。

老性自覚の反動として、逆に派手な服や化粧で自分を飾ったり、過度に明るく振る舞ったりするのは、「代償行為」と呼ばれ、高齢者の複雑な心境を表すものと捉えられています。さらに精神面での困難が増大すると、心気症、幻覚、妄想、せん妄、自殺などの危険が高まります。

心気症は不安や孤独感に襲われて、心身の些細な症状にこだわり、過度に心配して不穏になる状態です。幻覚は幻視や幻聴などですが、見まちがいや空耳も多く、自分でも不確かな反面、否定されると逆に強弁したりもします。妄想も同様で、高齢者は心の整理がつきにくく、勘ちがいから妄想につながることも少なくありません。

せん妄は、脳の血液循環が低下して興奮や大声、妄想などが起こる状態で、糖尿病や高血圧などの人によく見られます。特に夜に起こりやすく(夜間せん妄といわれます)、認知症と混同されることもありますが、せん妄は一時的で、脳の血液循環が回復すると消えます。

高齢者の自殺は、孤独感、絶望、病苦、経済苦、老いの悲しみなどが原因で、予告サインが示されることもありますが、ふだんから「死にたい」と繰り返す人も多いので、判断に迷います。

いずれにせよ、この段階で精神面での健康を回復するのは時間的にもむずかしいので、それまでに精神的健康を保っておくことが肝要です。

久坂部 羊
小説家・医師