規制がアイデアを作り出す

日本はやたらに規制や規則が多い国ということになっていて、私たちはまじめに守ろうとしてきました。コロナ禍でも、ワクチンを管理するための書類や補助金をもらうための申請書の多さに驚くばかりでした。コロナ禍の初期の頃は、発熱患者情報をいちいち保健所にファックスで送っていたのですから、呆れるばかりです。


国はデジタル化を勧めていますが、まだまだ判子の書類やファックスを使っているのですから、医療のデジタル化はまったく進んでいないといってもいいでしょう。規制や規則というものは脳科学的にみれば2つの面があります。規制ができてしまうと、それに従うことで、創造性が低下することです。一定の能力を保つには、規則を作り遵守させることがいいのでしょう。


しかし、そんな環境の中でも、逆に決められた規制があるからこそ、その中で新しいものを作り出していこうと努力する場合もあります。スマホはポケットの中に入りますが、以前の携帯電話は結構な大きさでした。そこで、手のひらサイズという規制を作り、その中に携帯電話の機能をどう詰め込むかを考えたのです。


これは規制がプラスに働いたケースでしょう。部品を小さく、数を減らすなどの多くの努力で、現在のようなサイズになったのです。規制がなければ、大きな携帯電話をいまだに使い続けていたかもしれません。商品開発にはこういった脳の使い方、つまりある規制を突破するにはどうすればいいのかを考えるほうがアイデアは出やすいものです。


やたらに規制をなくして、自由競争にしたほうがいいように思えますが、まったくの自由の中から何かを作り出すことは、非常にエネルギーのいることです。大きなキャンバスに自由に絵を描いていいと言われると、よほど絵に自信がないと、何かを描くことは難しいものです。

江戸の町が当時は世界的に見ても美しい町だったのは、いろいろな規制があったからでした。限られた資源と規制の中で様々な工夫があったからこそ、綺麗な町になったのです。ノルウェーのフィヨルドをクルーズしたとき、その風景には圧倒されました。


一軒一軒の家の色、形は共通で、いかに規制されているかがわかります。屋根の色がかなり厳しく規制されています。それがあってこそ、あのフィヨルドの風景に溶け込む家々となったのでしょう。これも規制があるからこそかえってうまくいっている例です。


そういった規制の中でデザインの努力をしているから、北欧のすぐれたデザインが生み出されたのかもしれません。脳は自由であることより、何かの規制を受けているときのほうが実力を発揮できるのです。何も浮かばないとき、自分の仕事に規制や時間制限をかけることで、アイデアが浮かぶかもしれません。


普段の生活でも、限られた資源で何かをやろうと思ったほうが、ずっとアイデアが出てきます。私の医院の2階には、親父が使っていたアトリエがそのまま残っています。その油絵の具を使って絵を描こうとしたとき、赤の油絵の具がありませんした。しかし、他の絵の具で描いたので、むしろ色に共通性ができて落ち着いた絵になりました。こんなちょっとした規制を課すことで、新しい創造につながっていくものですし、脳を刺激して発想を豊かにできます。