「あきらめる」ことでラクになる

“身体と心の恒常性機能”の働きによって、外部から影響を受けること、そして変化を拒絶するのは当然であると述べました。それこそが生命を維持するために必要な、一つの機能だからです。

しかしながら、人との関わりにおいても“恒常性機能”に基づき変化を避け、変化の源となる相手を排除していたのでは、人間関係の広がりや自己成長がなくなってしまいます。

「自分の肌に合わない者は排除し、自分と同じペース、似ている価値観、同じぐらいのレベルの成熟度の人間ばかりと付き合う」ことは、確かにストレスもなくイライラする機会も少ないでしょう。

しかしそれでは、“今の自分”という領域から一歩も出ないことになります。安定はしていても進歩はありません。

つまり、引きこもって生きていくというのならいざ知らず、社会の中であなたが成長して生きていくためには、自分の枠組みから出てリスクを冒す必要があるのです。その“リスク”とは、「他人から影響を受け、ときにはイライラし、あなた自身が変化しなければ対応できない」という状態に一歩踏み込むことです。

そしてよく見渡すまでもなく、私たちの日常生活で出会う人たちは、「自分と合わない人」だらけです。妻も夫も、わが子だって。ご近所の人たちも、会社の後輩も部下も。ほとんどの人たちが実際には、あなたと違うペースや価値観・常識、成熟レベルにいるのです。そんなものです。それが現実であり、もう「しゃーない」わけです。

あなたがイライラする「苦手な人」と遭遇したときに、「わかりたくない」という気持ちになるのは、“恒常性機能”から考えると当然のことです。しかし「わかろうとする」ことで、あなた自身の枠組みが広がり、“心の恒常性機能”が解かれることで人間関係も変わってゆきます。

つまり、イライラする自分をどうにかするためには、この世の中は「いろいろな意味において、合わない人だらけだ」ということを受け入れるのです。

ただし、“受け入れる”というと、何やら崇高で難しいイメージがあるので、「あきらめる」という言葉を使ってはどうでしょうか。

「あきらめる」とは、期待も希望も無くした深刻な状態ではなく、「明らかに認める」つまり、「出逢う人は、自分とはペースも価値観・常識も、成熟度も違って、合わないことが当然なのだ」ということを、「あきらかにみとめる」のです。

“受け入れる”というのは難しそうでも、「あきらめる」ならできそうに思えませんか?

出所:『「嫌いな人」のトリセツ 人付き合いがラクになる37の習慣』(総合法令出版)より抜粋
世のなかは「自分と合わない人」だらけ 出所:『「嫌いな人」のトリセツ 人付き合いがラクになる37の習慣』(総合法令出版)より抜粋

林 恭弘
ビジネス心理コンサルティング株式会社
代表取締役