自分のスタンダードとのギャップ

人は、知識や経験がはるかに優っている人と付き合っていくことで、プレッシャーやストレスを感じながらも成長できるのです。逆に、自分よりもずいぶん年下で経験も浅く、発展途上の人たちと関わり、仕事を教えることでも成長させてもらえることが多いのも事実です。

子どもや後輩・部下を教えることで、生活や仕事の根幹を再確認し、ものごとの基本を大切にすることを思い出させてくれます。

“他人に教える”ということは、自分で出来るようになることに比べて何倍も難しいことですし、あなたのレベルを高めてくれるものです。

自分とは違うペース、違う価値観、違う成熟度の人たちに、あなたが教えることをマスターしてもらうためには、イヤでもあなた自身の枠組みを広げなければなりません。それは彼らの言葉で語り、彼らの思考で考え、彼らのレベルで物事を見てみないと、彼らの心にまでは伝わらないからです。

人は無意識的に、自分のスタンダードが「世の中の当り前」だと感じています。そうでなければ、人との出逢いで驚くことも、怖がることも、感動することも有り得ないでしょう。「えー、うそー」「ほんとに!?」「すげー!」「まさか」「何でだよ」という言葉が出てくるのは、あなたの“スタンダード”からはみ出した人や出来事に遭遇した時のはずです。

あなたのスタンダードを超える人や出来事との遭遇を「避けたり、排除する」ことは安全ですが、感動無き生活と人生になってしまうということです。

“感動とは、自分のスタンダードを超えたものとの遭遇である”と言えるでしょう。

出所:『「嫌いな人」のトリセツ 人付き合いがラクになる37の習慣』(総合法令出版)より抜粋
スタンダードを超えたところに感動がある 出所:『「嫌いな人」のトリセツ 人付き合いがラクになる37の習慣』(総合法令出版)より抜粋

そうはいっても、忘れ物をする子どもには“イライラ”するでしょうし、未熟な部下や、甘えた後輩にも“ムカつく”でしょう。妻や夫が、まるで理解してくれないことにもイライラします。しかしその、「理解できない人たち」を「理解してみよう」と、一歩踏み出すことが自分のスタンダードを打ち破り、今まで気付かなかった発見やアイデアを与えてくれる機会になるものです。