キャリアの最後に訪れる「引退」。労働からの解放は一見素晴らしいことのようにも思えますが、引退後の生活に不満を抱く人も少なくありません。そこで本記事では、米ハーバード大学医学大学院・精神医学教授のロバート・ウォールディンガー氏とハーバード成人発達研究の副責任者を務める心理学教授のマーク・シュルツ氏による共著『グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない』(&books/辰巳出版)から一部抜粋し、引退後の生活を充実させるコツについて解説します。
“仕事”は恋しくないけれど…キャリアの最後に待つ「引退」後の生活に不満を抱いてしまう人の意外な共通点【ハーバード大の幸福論】
充実した引退生活を送るのに欠かせないピース
引退すると、新たな生きがいや人生の目的を見つけるのに苦労するものだが、自ら探す努力をする人はほとんどいない。だが、引退生活が充実している人は、職場で長い間自分を支えてくれた人間関係に代わる新しい仲間を見つけていた。仕事を楽しめず、自分や家族の生活のためにしかたなく働いていたという人でさえ、日常生活の大半を占めていた仕事がなくなると、人間関係に大きな穴があく。
50年近く医療従事者として働いた被験者は、引退して何が恋しいかと尋ねられて、こう答えた。「(仕事自体については)何も恋しくありません。恋しいのは同僚や友情ですね」
レオ・デマルコもそうだった。引退して間もない頃にレオの自宅を訪ねた本研究の調査員は、こんな調査記録を残している。
引退して何がいちばんつらいかとレオに尋ねると、同僚が恋しいし、今もできるだけ連絡を取るようにしていると言う。「仕事の話をすることが心の支えになっています」。若者に教える仕事について語り合うのが、今でも楽しいのだという。「人が技能を身につけるのを助けることはすばらしいことなんです」と言い、それから「教えることは、自分の全存在をかけて相手に向き合うことなんです」と話した。若者に教えることは「大いなる探求の始まり」だと語った。幼い子どもたちは遊び方を知っているが、「教育に携わる大人は遊び方を思い出さなければならない」とも語った。日常生活に「やるべきこと」が多すぎて、若者も大人も遊び方を思い出せなくなっている、と言っていた。
こう話した頃、レオは引退したばかりの時期にあり、人に教える立場ではなくなったことの意味を理解しようともがいていた。
教師生活を振り返り、それが自分自身にどんな影響を与えたのか、それを失った今、正確には何が恋しいのかを考え続けていた。
大人は遊び方を思い出さなければならない、という発言は、当時の彼自身の課題でもあった。仕事が生活の中心ではなくなり、遊ぶことが再び重要になっていた。
心の底で、仕事こそ自分の存在価値だと感じている人は多い。仕事があるからこそ、職場の仲間、顧客、そして家族にとって、価値ある存在になれたと感じているからだ。
引退してこの感覚がなくなると、他者にとって価値ある存在になるための方法が新たに必要になる。自分より大きな何かの一部になる新しい方法だ。