ジャーナリスト・池上彰氏が「衝撃を受けた」一冊

『読書について』/ショウペンハウエル(斎藤忍随訳・岩波文庫)

子どもの頃から大の読書好きだった私が大学入学と共に手に取ったのが、この本です。なにせ題名からして『読書について』です。読書の大切さ、喜びについて記されているのだろう……と思ったのですが。

いきなり出てきたのが、次の文章です。

「読書は思索の代用品にすぎない。読書は他人に思索誘導の務めをゆだねる」

「読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである」

「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、ほっとした気持になるのも、そのためである」

ハンマーで頭を叩かれるような衝撃でしたね。読書をすることは思索を深めることであり、ひいては自らの思想を作り出すものだと考えていたのですから、それが全面的に否定されたときのショックといったらありません。

問題は読書ではない。どのような姿勢で読書に臨み、読書の後、どれだけ自身が思索するかによるのだ。以後、これを肝に銘じるようにしたつもり……なのですが、そんなにたやすいことではありません。いつしか忘却し、安逸な読書の喜びに耽っています。本人が楽しんでいるんだから、ショウペンハウエル先生、堅いことを言わないでくださいよと文句のひとつも言いたくなります。

そうだ、ショウペンハウエル先生の言うことをそのまま受け止めるのも、「他人にものを考えてもらうこと」ですよね。だったら、こんな19世紀の哲学者の発言にとらわれることなく、今後も堂々と読書を楽しめばいいのです。

とはいえ、こんな箴言が心に残ります。

「書物を買いもとめるのは結構なことであろう。ただしついでにそれを読む時間も、買いもとめることができればである」

残り少なくなってきた人生、何を読むべきか、今度こそ自分の頭で考えたいものです。