若き日の横尾忠則氏が「導師」と仰いだ著名作家

『シッダールタ』/ヘルマン・ヘッセ(高橋健二訳・新潮文庫)

1967年夏、ニューヨークは沸騰して泡立っていた。

ロックミュージック、フォークロック、ドラッグ、アシッドトリップ、フラワーチルドレン、ヒッピー・レボルーション、インド超越瞑想、ヨーガ、禅、神秘主義、精神世界、超常現象、オカルティズム、UFOコンタクト、ニューエイジ、占星術、心霊現象、自然食、フリーセックス、ボディランゲッジ、アンダーグラウンド、サイケデリック、ポップアート、グル、アシュラム、ハリクリシュナ、宇宙意識、ネイチャーアメリカン、あゝいちいち挙げていると切りがない。

物凄い勢いと密度と凝縮、そんな混沌としたアメリカのヤング・カルチャー・ムーブメントの真只中にぼくは神武以来の高度成長に浮かれている日本からいきなりベトナム戦争で揺れ動いているニューヨークのど真中に降下したのだった。

この時のニューヨークは善くも悪くもぼくにとっては別天地だった。天国であると同時に地獄でもあった。天使と悪魔によってぼくの体は2つに分断されつつあった。肉体感覚で認識する現実から分離したもうひとつの現実をサイケデリック体験(超越瞑想)によって知覚した驚異の前でぼくの価値観や通念は快感を伴いながら見事に崩落していった。それはぼくにとっては新しい死であった。

その時、ぼくは求めた。グル(導師)を。その人はヒッピーがスイスの聖者と私淑するヘルマン・ヘッセだった。『シッダールタ』や『荒野の狼』は彼等のバイブルだった。ぼくはむさぼるように『シッダールタ』を読んだ。そしてインドに行った。インドの旅は7度続いた。『シッダールタ』の旅でもあった。最初はシッダールタよりも彼の友ゴービンダにぼく自身を投影した。そしてヨーガを習い禅寺に1年ばかり参禅した。結果は一歩前進二歩後退だった。

シッダールタは悟りを求めることから悟りを捨てることを選んだ。ゴービンダは沙門に入り仏陀に帰依した生き方をつらぬこうとした。一見彼の生き方は正道に見える。しかしシッダールタは自己の内なる想念の声に忠実であろうとした。このことはぼくが1980年にニューヨーク近代美術館のピカソ展の会場で突然、何者かに洗脳されたかのように、内なる声に従う生き方を啓示として受けたことと同化する。もし『シッダールタ』を知らなかったらこの時画家宣言をしたかどうかは疑わしかった。