「『若々しくいる』のはとても大事」…“心”まで老けさせていませんか

「感動」が元気のもと

人は年相応に生きたいものですが、老いを感じたからといって、年寄り染みた言動をするには及びません。

若い僧侶に法話のデモンストレーションをしてもらうと、二十代、三十代なのに七十歳過ぎの老僧のような低く落ち着いたトーンで話す人がいます。ある僧侶は、物事がわかっているようなしゃべり方をしたほうがいいと思っているようでした。私は「そんなこと、誰も決めてないよ。あなたはその若さがいいんだ。その若さを発揮しないで、老僧の真似をするなんてもったいないよ」とアドバイスしました。

年を取ると総じて声が低くなります。多くの人は声帯が衰えたのが原因だと思っていますが、違います。感動する心がなくなっているのです。その証拠に、お年寄りでもきれいな虹を見れば、高い声で「わっ、きれいな虹だ」と言います。ビックリするようなことに遭遇すると「へぇ、こんなことが起こるのか!」と張りのある声が出るのです。

この条件反射を逆手に取って、高い声で話すと心に張りが戻ります。老いを感じたら、体も心も若さと元気を保ちたいと、少し意識したいものですね。

「『無常』がわかると、無理をしなくなる」…「どうにかなる」という生き方

心配の“先取り”をやめよう

人生は変化の連続です。常ではない“無常の現場”と言ってもいいでしょう。

変化してしまう状況に自分が対応できるかどうか不安な人は、「~だったらどうしよう」と多くのことが心配になります。今までの人生で経験したことがないような、伴侶が死んでしまったら、自分が不治の病にかかったら、自己破産してしまったらなどの状況にも考えが及んでしまうかもしれません。

心配性の人は、心配の種をたくさん持っています。そのうち一つでも現実になれば、他の心配ごとも起こるのではないかとますます心配になります。

しかし、考えてみれば、心配ごとのほとんどは実際には起こりませんし、たとえ現実になることがあっても、たいていの場合どうにか対応できているはずです。この先もどんな変化が起ころうと、どうにかなります。死は避けられませんが、親しい人との別れに遺族はどうにか折り合いをつけて暮らしていきます。どうにかなるとわかれば、先を見越した過度の心配はしなくてすみます。

否でも応でも変化してしまう状況と、それに対応する自分を楽しみにできるようにもなります。

名取 芳彦
住職