当たり前ですが、病気にかかってうれしい人はいないでしょう。しかし病気を完全に避けることは難しく、年を取ればそのリスクは格段に増えます。病気に対して何か別の見方はできないのでしょうか? 今回は、小川仁志氏の著書『60歳からの哲学 いつまでも楽しく生きるための教養』(彩図社)より、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)の語る病気論を解説し、その新たな見方に迫ります。
苛立ちや苦しみも「いいこと」に変えられる…30代半ばから病と闘い続けた哲学者〈ニーチェ〉から学ぶ「病気の活かし方」とは
病気になって初めて、日常の深刻さがわかる
そう、病気はマイナスばかりではないのです。病気でも楽しめることはたくさんあります。
なんとニーチェはそれにとどまらず、病気には価値さえあるというのです。その名も「病気の価値」というアフォリズム(格言)があります。若干長いですが、切れ目がないのでそのまま紹介しましょう。
病気でねている人は、ときとして、彼が通常自分の職務・仕事または社交という病気にかかっており、そういうものによって自己に対する思慮をすっかり失っていたということを見抜く、彼はこういう智慧を、病気が彼に強いる閑暇から得るのである。(『人間的、あまりに人間的』ちくま学芸、2巻P302)
これもまた痛烈ですね。「病気で寝込んで初めて、普段自分が日常という病気にかかっていたことに気づく」というわけです。しかも自分をいたわることを忘れていたと。それこそが病気の価値だというのです。
たしかに毎日あくせく働いて、時にそのせいで病気になったりして、それで初めて自分の日常を振り返ります。私も同じことを感じたことがあります。がむしゃらに突っ走ってきて、ある日病気で倒れたのです。そうして気づいたのは、かかった病気の深刻さではなく、病的な日常の深刻さでした。そうして日常を改めた結果、病気もよくなりました。
生活習慣や仕事のやり方を改めるだけで、多くの病気は解消されるような気がします。よくいわれることですが、病気は心身のSOSなのです。そしてそれは皮肉なことに病気にならないとわからない。それが人間なのだと思います。
年を取ればより病気に敏感になると思いますが、それでも病気には種類や程度がありますから、その都度原因が違って、毎回反省することになるのです。