ヒトラーのポーランド侵攻により始まった「第2次世界大戦」。世界一の経済大国・アメリカの介入で、早々に勝敗が見えていたこの戦争の終盤に、日本は真珠湾を攻撃し、「アジア・太平洋戦争」を開戦します。状況的に「不要」だったこの戦争を、日本が始めた要因とは? 立命館アジア太平洋大学(APU)名誉教授・学長特命補佐である出口治明氏の著書『一気読み世界史』(日経BP)より見ていきましょう。
「インドシナへの進駐」がアメリカの怒りを買い〈石油禁輸〉に…窮地に陥った日本が、アジア・太平洋戦争という「最も厳しい道」を選択せざるを得なかったワケ【世界史】
日本への原子爆弾投下は、トルーマンからスターリンへの牽制
1945年5月、ドイツが降伏し、7月にポツダム会談が開かれ、8月に日本が降伏します。
このような流れのなかで、なぜトルーマンが日本に原子爆弾を落としたのでしょうか。ルーズベルトの死後、スターリンと会ったトルーマンが、「こいつとは、とても一緒にはやっていけない」と感じたから、という説があります。ヨーロッパにおけるアメリカ軍の力は、ソ連軍に比べれば貧弱です。ソ連がその気になったらヨーロッパ全体を制覇してしまうかもしれません。その前にアメリカの軍事力を見せつけようと原爆を使用した、というわけです。
日本の敗因は、「開国」を捨てて、「富国・強兵」だけを推進したこと
第2次世界大戦が終わるまでの20世紀前半を振り返ると、日本の問題は、阿部正弘が開国のときに描いた「開国・富国・強兵」というグランドデザインを貫かなかったことだと思います。
資源のない日本は国を開いて、貿易をしなければ、豊かにはなれません。つまり、開国があって富国があり、その結果として強兵がある。これは素晴らしい国家戦略です。
ところが日露戦争で勝ってしまったばかりにのぼせて、開国を捨ててしまった。開国をせずに、富国・強兵だけを推進しようとしたのが、日本の失敗の原因だと思います。
出口治明
立命館アジア太平洋大学(APU)
名誉教授・学長特命補佐