ヒトラーのポーランド侵攻により始まった「第2次世界大戦」。世界一の経済大国・アメリカの介入で、早々に勝敗が見えていたこの戦争の終盤に、日本は真珠湾を攻撃し、「アジア・太平洋戦争」を開戦します。状況的に「不要」だったこの戦争を、日本が始めた要因とは? 立命館アジア太平洋大学(APU)名誉教授・学長特命補佐である出口治明氏の著書『一気読み世界史』(日経BP)より見ていきましょう。
「インドシナへの進駐」がアメリカの怒りを買い〈石油禁輸〉に…窮地に陥った日本が、アジア・太平洋戦争という「最も厳しい道」を選択せざるを得なかったワケ【世界史】
アメリカの武器貸与で、第2次世界大戦の帰趨は決まった
アメリカでは、フランクリン・ルーズベルトが「ナチスはけしからん」と思い、レンドリース法(武器貸与法)をつくります。要するに、武器をがんがんつくって、ドイツと戦っている国にいくらでも貸してあげる、という法律です。
この段階で、もう第2次世界大戦の帰趨は決まっていたと思います。世界一の経済大国が、連合国にいくらでも武器を供与すると決めたわけですから。
1941年6月、独ソ戦が始まります。ヒトラーは、大英帝国を空爆だけで倒すのは難しいとみて、ソ連を先に倒そうと考えたわけです。ソ連を倒せば、それで勝負はつくだろうと。
11月、アメリカはレンドリース法をソ連にも適用することに決めます。いよいよもって連合国側の勝利が確実になっていきます。ところが、外交力がなくて孤立している日本は情報不足で、それがわかりません。だからアジア・太平洋戦争に突入します。
火事場泥棒の日本は、アメリカの怒りを買ってアジア・太平洋戦争へ
フランスがヒトラーに降伏したのをいいことに、日本はフランス植民地のインドシナに進駐します。1940年に北部インドシナへ、1941年には南部インドシナへ。またもやヨーロッパの混乱に乗じた火事場泥棒です。
これに怒ったアメリカから石油を全面禁輸にされて、日本は干上がります。石油の備蓄は約2年分しかありません。備蓄は刻一刻と減っていくわけですが、「後になるほどしんどくなるから、1日でも早く戦争を仕掛けんとあかん」などという倒錯した議論になっていきます。
戦争を仕掛ける必要なんてなくて、要は、アメリカに禁輸を解いてもらえればいいわけですから、インドシナから軍を引き揚げるか、引き揚げたふりをするだけでもよさそうなものです。しかし、外交力が落ちている日本にはそれすらできず、1941年12月、ハワイの真珠湾に奇襲攻撃し、アジア・太平洋戦争が始まります。