いずれは誰もが直面する「老い」。マイナスな面ばかりに目を向けてしまいがちですが、必ずしもそうとは言えません。古代の哲学者キケローは、老いへの4つの偏見を取り上げ、その誤解を解こうと試みます。小川仁志氏の著書『60歳からの哲学 いつまでも楽しく生きるための教養』(彩図社)より、老いをポジティブに捉えなおすヒントを見ていきましょう。
老年の良さは老年にしかわからない
とはいえ、こうした高齢者についての論駁は、もしかしたら若い人たちには単なる負け惜しみにしか聞こえないかもしれません。そんな反論を見越してか、キケローは『老いについて』をこんな言葉で締めくくっています。
ここには、2人の若者が文字通り老年期まで生きながらえることを真に願うと同時に、いくら老年期にある人間が老年のよさについて語ろうとも、それは実際に老年にさしかかった者にしかわからないというメッセージが込められているように思います。
これから老年期を迎えようとしている人たちにとっては、朗報といえるでしょう。そんなに幸福な時間が待っていて、それをもうすぐ味わえるというのですから。老年期の自分こそ、本当は自分史上最高の自分なのです。
それはいいすぎだと思われるかもしれませんが、決してそんなことはないはずです。知識も経験もようやくピークに達し、肉体さえ自分にふさわしい使い方をすれば武器になる。そんな状態が最高ではなくてなんなのでしょう? 高齢者は、通俗的なモノサシで自分を測り、卑下しながら生きるのではなく、もっと自信を持って生きるべきだと思います。
いや、それでもまだ足りない感じがします。単に自信を持つだけでなく、ワクワクして生きる必要があると思うのです。人間は死ぬ間際まで、自分史上最高の自分になれます。世間が貼るレッテルや病名に屈してはいけません。それもまた通俗的なモノサシにすぎないのですから。
私ももう10年もすれば老年期に差し掛かります。キケローの哲学を知って以来、その事実は不安を招来するものではなく、私にとって希望へと大きく変わりました。老年になってみないとわからない老年の良さ。それを実感することのできる日まで、日々頑張って生きたいと思います。
あ、それで思い出しましたが、1つ大事なことを書き忘れていました。キケローは老年期の良さを訴えると同時に、こうもいっていました。
つまり、「老年期に喜びを得るためには、若いころに努力しておかなければならない」ということです。いや、今何歳であろうと、まだ先がある限りは努力する余地が残っているはずです。今の努力を惜しまないようにしてください。きっと楽しい老後が待っているに違いありませんから……。
小川 仁志
山口大学国際総合科学部教授
哲学者