9・11テロの衝撃

冷戦が終結した後、来たる21世紀の国際関係を占う論調には、アメリカを中心に楽観論が支配していた。フランシス・フクヤマは『歴史の終焉』(1992年)を論じ、イデオロギー対立の時代が終わったことをたたえた。ブルース・ラセットは『デモクラティック・ピース』、つまり民主主義国どうしは戦争をしない、と説いた。

これをマクドナルドに置き換え、マクドナルドが開店している国どうしは戦争をしない、つまり経済的に深く結びつき合っている国の間では戦争が起きない、という言説が流行った。たしかに、東西ベルリンの分断を象徴するチェックポイント・チャーリー(検問所C)の目の前にはマクドナルドが店を開いており、ビッグマックとコーラを片手に冷戦遺跡を見学することができる。

これに対してサミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』を予見し、世界の宗教地図とほぼ同じ分布図を用い、21世紀は異なる文明圏どうしの対立が激化する、と説いた。激動と混沌の時代を象徴するように、21世紀は衝撃的な事件で幕を開けた。

2001年9月11日、イスラム過激思想に染まった犯人たちがハイジャックした3機の旅客機は、ニューヨークのツインタワーと首都ワシントン郊外の国防総省(ペンタゴン)に突入した。4機目は乗客の反乱によって標的に到達せず、郊外に墜落した。この顛末は、遺族側と制作側で激論のすえ『ユナイテッド93』として映画化されている。

犯行を主導した故ウサマ・ビン・ラーディンはサウジアラビアの富豪一族の出身であり、冷戦期、アフガニスタンに侵攻したソ連軍を追い払おうと、アメリカの諜報機関CIAから支援を受け、ゲリラ戦を展開した。冷戦終結後、彼の怒りの矛先はアメリカに向かった。

93年にニューヨークのツインタワーを狙って地下駐車場を爆破するも、ビルは倒壊をまぬがれた。地上の警備が強化されたことに対し、彼は航空機でビルに突入するという、奇策に出た。

9・11後、日本は11月にテロ対策特措法が施行され、一週間後には海上自衛隊の艦船が洋上補給任務のため、インド洋へ向けて出港した。アフガニスタンに派兵したアメリカをはじめ、NATO諸国の後方支援である。

犯行後、ビン・ラーディンはアフガンとパキスタンの国境付近の山々に潜伏し、パキスタンの秘密(軍事)施設に匿われた。米海軍特殊部隊が無許可・無灯火のステルス・ヘリで夜中に急襲し射殺したのは、同時多発テロから10年目となる11年の5月だった。

ビン・ラーディンは携帯電話もメールも一切使わなかったため、居場所の特定にはかなり時間がかかった。諜報当局が彼の身の回りの世話をしている男性をつきとめたのが突破口になった。

ビン・ラーディン捜索の顛末は『ゼロ・ダーク・サーティ』という映画に描かれており、劇中で連絡係の男性はスズキ・ジムニーを駆っている。悪路に強い日本製SUVは北米ではSamuraiの名称でスズキ・ジムニー・シエラが売られ、三菱Shogun(イギリス仕様のパジェロ)も世界各地で重宝されている。

ジムニーはその後も人気が衰えず、2018年に20年ぶりのモデルチェンジを受け、納車待ち10カ月の人気となった。なお、三菱パジェロは惜しまれつつ21年に生産を終え、岐阜のパジェロ製造は閉業している。

ビン・ラーディンの殺害後も対立と紛争は収まることなく、21年8月、米軍のアフガン撤退を待っていたかのように武装勢力タリバンが国を乗っ取った。大英帝国からの独立102年を祝う記念日の4日前だった。