アメリカ・西海岸のサーファーに支持された、ホンダの〈インサイト〉

対して99年に登場したホンダ・インサイトは、地味な船出となった。テレビCMや広告に有名人は登場しなかったが、プリウスより先にアメリカで売られ、西海岸のサーファーたちに支持者が増えた。それもそのはず、車体はスーパーカーNSX譲りの軽量なアルミ製、スポーツカーのごとく2人乗り、そして1リッターのエンジンを小さなモーターがアシストする、プリウスよりも大幅に簡略なシステムだったのである。

プリウスではエンジンもモーターも主役だが、インサイトはあくまでもエンジンが主役だった。車体とシステムの軽さと、空力を最優先した近未来的な外観で燃費を稼いだ。スポーツカー並みの凝った作りと、後席部分を全て荷室とした割り切りが、サーファーたちに「新しい」とウケた。そしてアメリカEPAから、ガソリン・エンジン車燃費ランキング1位に認定された。

プリウスとインサイトの登場は、来たる21世紀がどのような時代になるのか、先を照らす役割を果たした。省燃費車は非力ゆえに遅い、という常識をくつがえし、従来のガソリン車と同じ速さのまま、いかにガソリン消費を少なくするか、という新しい競争が生まれた。BBC『トップ・ギア』誌はプリウスを「奇妙なくらい省燃費」と高く評価している。同誌は大衆向けの日本車・ドイツ車、特にトヨタとフォルクスワーゲンに(執拗に)厳しいが、プリウスの性能を認めざるをえなかった。

国内的には、どうだったのだろうか。80年代の日本はバブル景気に沸き、自動車業界は89年から90年にかけ、量的にピークを迎えた。バブルは戦後日本の高度成長の総決算であり、ハイブリッド車は戦後積み重ねてきた日本的な車づくりの、総決算だった。一般家庭の手が届く値段、故障が少なく省燃費、そして初心者でも安心して運転できる敷居の低さを極限まで高めた。

20世紀最後の10年は、戦後の高度成長が一段落し、これからの日本が何を軸に生き残りを図るのか、その解が芽生えた時期だった。21世紀に入ってまもなく、三菱と日産は量産電動車(EV)を発売するのである。


鈴木 均
合同会社未来モビリT研究 代表