産業革命後、貿易で独り勝ちだった中国は、連合王国によって密輸されたアヘンが原因で、国力を奪われていきます。また、インドもほぼすべて連合王国に掌握され、アジアは19世紀、それまでの栄華に翳りが見え始めます。一方で、ナポレオンが提唱した「国民国家」の概念は世界中に伝染し、独立国が次々と誕生。フランス革命が完遂され、いよいよ近代国家に近づく19世紀を、立命館アジア太平洋大学(APU) 学長特命補佐である出口治明の著書『一気読み世界史』(日経BP)より見ていきましょう。
ナポレオンが発した〈自由・平等・友愛〉の精神が世界中に派生…国家の独立が増える一方、陰りが見え始めたアジアの「栄華」【世界史】
マリー・ルイーズのその後に見るメッテルニヒの小細工のうまさ
ナポレオン一族のその後です。
ナポレオンと、オーストリア皇女のマリー・ルイーズの間には、皇太子のナポレオン2世がいましたね。ナポレオン2世は、母方の祖父フランツ1世がいるウィーンの宮廷に引き取られます。フランツ1世は、孫のナポレオン2世を大事に育てますが、ナポレオンの悪口をたくさんいい聞かせます。
マリー・ルイーズは平凡なお嬢さんで、ナポレオン2世をかわいがっていましたが、オーストリアの宰相メッテルニヒは、2人を引き離し、お母さんを、イタリアのパルマの統治者に任命します。しかも、最高のプレーボーイを部下につけます。その部下に飴玉を飲まされ、案の定、お母さんはナポレオン2世のもとには帰りません。メッテルニヒは大局観こそ持ちませんでしたが、こういう小細工はものすごくうまい人でした。
ナポレオン2世のもとには、フランスからいろんな人がこっそりとやってきて、父ナポレオン1世の偉大さを教えます。ナポレオン2世は父の跡を継ごうと決心しました。そして一所懸命、軍事教練をやるうちに病気になって早世しました。
矛盾に満ちたナポレオン3世、選挙で選ばれて皇帝に
ナポレオンの弟は、ネーデルラントの国王になったのでしたね。その子どもが、ルイ・ナポレオンです。夢想家で、何回もフランスでクーデターを起こそうとしては逮捕されていました。不思議な人で、サン・シモンが唱えた社会主義と帝政を同時に信奉していました。矛盾していますが、平気だったんですね。また異常なほど女性が好きでした。
ルイ・ナポレオンはフランスを追われて、ロンドンで亡命生活を送っていました。けれど、フランスで第2共和政が成立するとロンドンから戻ってきて、大統領選に立候補します。そして選ばれてしまいます。ナポレオンの名前はやはり強い。フランス国民は、偉大なナポレオン1世のことを忘れてはいなかったのです。その後、ルイ・ナポレオンはクーデターを起こし、ナポレオン3世となります。第2帝政です。
出口治明
立命館アジア太平洋大学(APU)
学長特命補佐