マリー・ルイーズのその後に見るメッテルニヒの小細工のうまさ

ナポレオン一族のその後です。

ナポレオンと、オーストリア皇女のマリー・ルイーズの間には、皇太子のナポレオン2世がいましたね。ナポレオン2世は、母方の祖父フランツ1世がいるウィーンの宮廷に引き取られます。フランツ1世は、孫のナポレオン2世を大事に育てますが、ナポレオンの悪口をたくさんいい聞かせます。

マリー・ルイーズは平凡なお嬢さんで、ナポレオン2世をかわいがっていましたが、オーストリアの宰相メッテルニヒは、2人を引き離し、お母さんを、イタリアのパルマの統治者に任命します。しかも、最高のプレーボーイを部下につけます。その部下に飴玉を飲まされ、案の定、お母さんはナポレオン2世のもとには帰りません。メッテルニヒは大局観こそ持ちませんでしたが、こういう小細工はものすごくうまい人でした。

ナポレオン2世のもとには、フランスからいろんな人がこっそりとやってきて、父ナポレオン1世の偉大さを教えます。ナポレオン2世は父の跡を継ごうと決心しました。そして一所懸命、軍事教練をやるうちに病気になって早世しました。

矛盾に満ちたナポレオン3世、選挙で選ばれて皇帝に

ナポレオンの弟は、ネーデルラントの国王になったのでしたね。その子どもが、ルイ・ナポレオンです。夢想家で、何回もフランスでクーデターを起こそうとしては逮捕されていました。不思議な人で、サン・シモンが唱えた社会主義と帝政を同時に信奉していました。矛盾していますが、平気だったんですね。また異常なほど女性が好きでした。

ルイ・ナポレオンはフランスを追われて、ロンドンで亡命生活を送っていました。けれど、フランスで第2共和政が成立するとロンドンから戻ってきて、大統領選に立候補します。そして選ばれてしまいます。ナポレオンの名前はやはり強い。フランス国民は、偉大なナポレオン1世のことを忘れてはいなかったのです。その後、ルイ・ナポレオンはクーデターを起こし、ナポレオン3世となります。第2帝政です。

出口治明

立命館アジア太平洋大学(APU)
学長特命補佐