産業革命後、貿易で独り勝ちだった中国は、連合王国によって密輸されたアヘンが原因で、国力を奪われていきます。また、インドもほぼすべて連合王国に掌握され、アジアは19世紀、それまでの栄華に翳りが見え始めます。一方で、ナポレオンが提唱した「国民国家」の概念は世界中に伝染し、独立国が次々と誕生。フランス革命が完遂され、いよいよ近代国家に近づく19世紀を、立命館アジア太平洋大学(APU) 学長特命補佐である出口治明の著書『一気読み世界史』(日経BP)より見ていきましょう。
ナポレオンが発した〈自由・平等・友愛〉の精神が世界中に派生…国家の独立が増える一方、陰りが見え始めたアジアの「栄華」【世界史】
ナポレオンが残した「はしか」が、ヨーロッパを席巻
ヨーロッパには、自由、平等、友愛というナポレオンの「はしか」が残っています。
その影響で、オスマン朝の支配下にあったギリシャが独立を宣言しました。古代文明発祥の地とあって、連合王国の詩人バイロンなど多くの市民が義勇軍として駆けつけます。エジプトと組んだオスマン朝はナヴァリノの海戦で連合王国とフランス、ロシアに敗れ、ギリシャが独立します。
イタリアでは「青年イタリア」という政治組織が結成されて、小国に分かれていたイタリアの統一を目指す機運が高まります。ドイツでも統一国家を目指す動きが始まります。リーダーとなったのはプロイセンで、ドイツ関税同盟が結ばれました。
南アフリカのケープ植民地は、ウィーン会議で、ネーデルラントから連合王国の手に渡っていましたね。現地には長年、血と汗を流して植民地を築いてきた、ネーデルラントからの入植者の子孫がいます。ボーア人と呼ばれたこの人たちは、ケープタウンを捨てて北上し、奥地へと大キャラバンで移動します。これをグレート・トレックと呼びます。
奥地にはズールー王国という先住民の王国がありました。ボーア人は「血の川の戦い」などをへて、トランスヴァール共和国とオレンジ自由国をつくります。こうして、ボーア人は連合王国の家来になることを逃れ、自由になります。
1848年の革命で「ネーションステート」完成
フランスでは、1830年、七月革命が起きます。反動的なブルボン家の王様が追われ、オルレアン家の出身で「市民王」といわれたルイ・フィリップに王位が移ります。
フランスではその後、普通選挙を求める声が高まり、1848年に二月革命が起きます。これがすぐドイツ(プロイセン)とオーストリアに飛び火して、ベルリンとウィーンで三月革命が起きます。「諸国民の春」といわれる1848年の革命です。この年には、マルクスが『共産党宣言』を出しています。
1848年の革命で、ヨーロッパが再び、燃え上がります。オーストリアの支配下にあったハンガリーでは、コシュートが独立宣言をします。オーストリアの皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、ロシア軍を引き入れてハンガリーの独立運動を鎮圧しました。20世紀のハンガリー動乱やプラハの春を思い出しますね。
この革命で、フランス革命が最終的に完成しました。ネーションステートの成立です。フランスの王政が終焉を迎え、第2共和政が成立。世界初の男子普通選挙が実施されました。