京都には、数多くの名建築が現在も残されています。京都大学を中心に、長い年月のなかで、さまざまな建築家により改修や増築がおこなわれた建築物を見てみましょう。おさんぽしながら1時間で見ることのできる名建築を、著書『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より、円満字洋介氏が解説します。
思いをつなぐ連係プレー
東側の増築は、扁平な煙突を含む北側入り口まで(旧発生学研究室)が永瀬で、その東側(旧組織学研究室)が大倉だ。西側の講堂部とも繋がっており、山本─永瀬─大倉と無理なく増築していった様子が伺える。先人の作品を尊重するという気持ちが伝わってくる作品である。
表現主義的建築の典型
近衛通りに出てさらに東に向かった楽友会館は、森田慶一の最初期の作品だ。Y字型の柱で支えられた半円形の玄関ポーチが特徴で、表現主義的建築の典型として紹介されることが多い。先端のカーブに合わせて瓦を葺くなんて、どうやったらできるのだろう。玄関アーチは変形ポインテッドアーチになっていて、玄関の内壁は砂岩系の石貼りで絵や文字が刻まれているのが楽しい。内部の古い部分もよく残されていて、照明器具など見どころは多い。レストラン「近衛Latin」は2021年に営業終了した。
最初期鉄筋コンクリート造土蔵風書斎
一旦京都大学をあとにして、真如堂のふもとの坂道を登り切ったところに百石斎はある。書斎といっても外観は土蔵にしか見えないが、現存の鉄筋コンクリート造りとしては最初期の部類だ。百石斎が土蔵にしか見えないのは、吉田山の中腹で真如堂の隣というロケーションに田辺朔郎が合わせたのだろう。田辺は明治最初期の土木学者で、京都疏水を設計したことで知られる。大正5年から京都帝大で教鞭をとり、学校に近いこの地に居を構えた。
京大キャンパス最古の門
吉田山の南裾をおりて、東一条通りに出たところの京都大学総合人間学部正門は、木造ながらよく残っている。何度も修理されたに違いないが、当初のデザインがほぼ残っているようで、扉の目の高さに窓を開けているのがおもしろい。
赤が効いてるYMCA
そのまま西へ進むと京都大学YMCA会館、ヴォーリズの作品だ。円に逆三角はYMCAの古いマークだが、それがいろんなところに付いているのがおもしろい。最近の改修で窓枠を竣工時の赤に戻した。改修後の評判もおおむね良いらしいが、わたしは色が少し暗いのではないかと思う。風化のため木目が立ち過ぎてペンキは塗れなかったようで、仕方なく染みこむタイプの塗料を使っているが、そのため木目の影が出てざらっとした見かけになった。修理は難しい。
円満字 洋介
建築家