三つに分類される読み物

『枕草子』という作品は、日ごろ感じたことを綴った、今でいうと随筆のような読み物だといわれることが多いが、それは、半分正解で半分正しくない。

枕草子の内容は、大きく三つに分類される。「春はあけぼの」にあるように、自然や日常など、さまざまな随想や評論、つまり随筆的章段が1つ。

2つめは、宮仕え時代のことを日記風に記した文章、日記(回想)的章段である。

そして、3つめが類聚(るいじゅ)章段だ。こちらは少々わかりづらいので、簡単に補足しよう。

類聚とは、同じ種類の事柄を集めるという意味である。『枕草子』には、同じようなものを集め、それらを巧みに短評して読者をうならせる章を多く設けている。これが類聚章段と呼ばれるものだ。その内容は、とくに千年後の現代人も大いに共感できるものが多く、だからこそ『枕草子』はずっと読み継がれてきたのだと評される。

たとえば、「うつくしきもの(かわいらしいもの)」として清少納言は、いくつも自分がかわいいと思う事柄を列記していく。「すずめの子が、ねずみの鳴きまねをすると、踊るように近づいてくること」や「親鳥がひよこを連れて歩いている様子」などをあげており、現代の私たちの感覚とさほど変わりない。さらにいくつか紹介してみよう。

「ありがたきもの(めったにないもの)」と題して、「舅に褒められる婿。姑に思われる嫁。主人をそしらない従者。異性や同性に関係なく、とても親しくなった者どうしが最後までずっと仲が良いこと」と記す。ユニークな視点であり、しかも私たちも得心できるものになっている。

続いては「はしたなきもの(きまりや体裁が悪いもの)」。

「他の人を呼んでいるのに、自分のことだと思い込んで出ていってしまったとき。人の悪口を言っているとき、それを子供が聞いていて、本人の前でしゃべってしまうとき。悲しい話を聞いて、心からかわいそうだと思っているのに、なぜか涙が出てこないのはばつが悪い。逆にめでたいことを聞いているのに、なぜか涙があふれてしまうとき」

「わかる。わかる」という声が聞こえてきそうだ。さらにもう一つ。

「ただ過ぎに過ぐるもの(どんどん過ぎてしまうもの)」は、「帆を上げた舟。人の年齢。春、夏、秋、冬」を上げている。

うまく集めたものだし、よく考えついたと感心する。

では、『枕草子』の作者・清少納言とは、いったいどんな女性なのだろうか。

河合 敦

歴史研究家/歴史作家