人間には決してわからないことがある

人間は自分の可能性は無限大と考えがちですが、実際には人間は両極端の中間にいることでしか生きられないとパスカルはいいます。

たとえば、人間の感覚は極端なものは知覚しないし、快楽だと感じるようなものであってもあまりに強すぎたり長すぎたりするならば不快になるし、人の話を聞く場合でもそれが短すぎても長すぎても全体が理解しがたくなります。  

知るという行為においても事情は同じです。何事かについて確実にその全体を知ってしまうということがわたしたちにはありえないのです。ある程度しか知ることがなく、また、完全に無知だということもないのです。

自分の身体というものが何であるか知らないけれども身体を動かすことができ、精神が何であるかも知りませんが精神の働きを感じています。そういうふうに、人間の生は極端の中間にのみあるわけです。

また、どこかに自然的原理が隠れているのだろうとわたしたちはつい考えがちなのですが、わたしたちが発見して利用しているところの原理とは、わたしたちが自分の生活に習慣づけることのできた原理のみであり、わたしたちの習慣からまったく離れた純粋な原理というものはないのです。

このように、わたしたちが知ったり利用したりできるものすべては、わたしたち人間の中間的な生き方に合った形でしか存在していないのです。  

残された深い思索の痕跡

10歳になる前に三角形の内角の和が二直角であることを自力で証明したパスカルは、科学者として世界に大きな貢献をしました。19歳で最初の機械式計算機を発明し、他に「パスカルの定理」「パスカルの三角形」「パスカルの原理」(この気圧原理は現代でもヘクトパスカルという単位とともに役立てられている)の業績を残し、フェルマーの定理で有名なフェルマーとの文通の助けもあって確率論の基礎を考案しました。

社会的には、貧民救済の資金をつくるために乗り合い馬車を考案して会社を創り、1662年の春にはパリに乗り合い馬車を開通させました。  

天才であったパスカルの考え方の特徴は、「人間」「時間」「自然」「存在」「神」といった、ふだんよく口にしたり、身近であったりするものを「無定義概念」と見たところです。

つまり、それらはわたしたちにとってまったく何だかわからないものなのです。何だかわからないのだけれども、わたしたちはそれらをいろいろに利用して生きているわけです。むしろ、それらなしでは生きてはいけない。  

この、曖昧な、宙ぶらりんの場所に置かれているのが人間です。そうでありながら、人間は自分の日々の生活の仕方によって、定義されないものに自分なりの概念を与えていくことになるのです。

このような状態から静かに人間の不安が生まれてきます。しかも、自分の生き方が多くのことを決定していくのです。パスカルのこういう哲学はまさしく、キルケゴール、ニーチェ、マルセル、ヤスパース、サルトルら実存の哲学のあまりにも早いさきがけとなっているのです。

賢人のつぶやき 人間は〈考える葦〉である

白取 春彦

作家/翻訳家