蘇る1985年の記憶

そのとき、私は、85年のあの日の出来事を思い出していた。

85年4月17日、甲子園球場の漆黒の夜空に、白球が3発連続で舞い上がった。その後、語り継がれる3番=ランディ・バース、4番=掛布雅之、5番=岡田彰布の阪神クリーンナップによる「バックスクリーン3連発」である。

その日、阪神は巨人とのシーズン初対決となった甲子園での3連戦の2試合目だった。巨人に2点リードされた7回裏で2死1、2塁のチャンスを迎える。

巨人のピッチャーは、快速球で注目される若きエース槙原寛己。そこに登場したのが、史上最強の助っ人として知られる3番打者のバースだった。バースは甘く入ったストレート気味のシュートをとらえ、バックスクリーンへ逆転の3ランホームランを放った。

次に打席に入った私は、ホームランの勢いを借りることよりも、槙原と1対1での勝負をしたいという思いが強かった。1ボール1ストライクからの3球目。内角高めのストレートがやや詰まったものの左手で押し込み、バックスクリーン横の左翼側に放り込むと、それがホームランになった。

続く5番打者の岡田は、バースにはストレート気味のシュート、私にはストレートを打たれたことから、「(槙原は)インコースのストレートは投げてこないだろう」と予測し、スライダーに狙いを定めたという。すると、2球目をフルスイング。岡田のソロホームランは、前の2球を追いかけるようにバックスクリーン方向に飛んでいった。

この出来事は、四半世紀以上経った今でも、阪神ファンの間で語られることとなる「伝説の3連発」だった。さらに、「バックスクリーン3連発」があった85年シーズンは、阪神が21年ぶりのリーグ優勝を果たし、その後2リーグ制になって以降初の日本1に輝いたことから、阪神を勢いづかせた出来事として語られることもある。

本連載では「初代ミスター・タイガース」藤村富美男さんから金本知憲まで、阪神球団史を彩ってきた強打者たちについて語ることで、阪神打線に息づく魂を探ってみたい。そして、そこからさらに現在の阪神というチームについて語ってみたい。そこには「勝つ伝統」を携たずさえた常勝チームとして進むべき道があると信じている。

掛布雅之

プロ野球解説者・評論家