特別なご馳走としての存在感を放つ「鮨」。鮨屋からはランチが消え、毎朝魚河岸に通う鮨職人の数が減ったと、鮨評論界の第一人者であり、著述家の早川光氏はいいます。早川氏の著書『新時代の江戸前鮨がわかる本 訪れるべき本当の名店』より、「昔の鮨職人が聞いたら、耳を疑うような」鮨職人と仲卸業者の関係性における合理的変化を見ていきましょう。
魚を自分で選ばない鮨職人が出てきた
昼の営業がなくなったことで、それまでの常識では考えられなかったことも起こります。まず、魚河岸(中央市場)に足を運んで、自分の目で魚を選んで買う鮨職人が減りました。かつての魚河岸は早朝からたくさんの鮨職人で混み合っていたものですが、今は明らかに数が減っています。
閉店が深夜になったことで起床時間も遅くなったと書きましたが、さらに一歩進んで、魚河岸に行かないという職人が出てきたのです。昔の鮨職人が聞いたら、耳を疑うような話かもしれません。
魚河岸に行かなければ魚が買えないのでは? と、一般の人は思うかもしれませんが、実は電話一本でも注文することはできます。「こんな魚が欲しい」という希望さえ伝えれば、仲卸業者の方で見繕って、仕込みの始まる時間までに配達してくれるので、わざわざ足を運ばなくても営業にはなんの支障もないのです。“自分の目で魚を選びたい”というこだわりさえなければ。
鮨職人が朝早くから魚河岸に行くのは、自分の目で魚を選ぶということにプライドを持っているからです。そして、毎朝顔を出し仲卸業者と会話を重ねることで信頼を得て、より上質な魚を仕入れたいと考えているからにほかなりません。
鮨職人は基本的には相対取引、つまり仲卸業者とのマンツーマンの取引で魚を買います。おおまかな魚の値段はその日の相場で決まりますが、どの魚を売るかはその鮨職人と業者のそれまでの関係性によって変わります。わかりやすく言えば、仲卸としっかり関係を築いた鮨職人の方が質が高く状態のいい魚が買えるということ。売る方もプロですから、いい魚は見る目があって信頼できる人に売りたいと思うもの。だからこそみんな眠い目をこすって通い続けたのです。
でも今は、そうした人間関係のあり方を「古い」と思う人も出てきました。仲良くするために時間をかけるくらいなら、魚選びそのものを仲卸業者に“おまかせ”してしまった方が合理的だというわけです。
仲卸業者の世代交代
かつて鮨職人が徒弟制で修業していた頃、独立した弟子が自分の店を構えるという時は、親方が仲卸業者に「こいつの面倒を見てやってくれ」と紹介するのがひとつの儀式のようなものでした。その儀式によって初めて買うことが許される。そのくらい厳格だった時代もあると聞きます。
もちろん今はそんなことはありません。修業先の紹介がなくても問題なく魚は買えます。飛び込みで「売って下さい」と頼んでも、門前払いされることはありません。仲卸業者の方も変化してきているのです。その変化は築地から豊洲に市場が移転を決めた時から、より顕著になりました。
東京都と築地市場が協議機関として設けた『新市場建設協議会』が豊洲への移転を正式に決めたのが、2014年11月のこと。その時から、慣れ親しんだ築地を離れ新しい場所で商売をすることに不安を感じた仲買人が廃業を決めたり、引退したり、代を譲ることを決意したりして、仲卸業者の世代交代が起こります。30代、40代で後を継いだ人もいて、そうした新世代の中には、代替わりを機会に古い体質をリセットして、経営の合理化に方向転換しようとする人も出てきます。
そう。それまでの取引のあり方が「古い」と感じていたのは、実は鮨職人の側だけではなかったのです。
新世代は、お互いに会って話すことをそれほど重視していません。それよりもSNSを通じて会話した方が早いし、気を使わなくてすむからです。今は仲卸業者と鮨職人がLINEを交換するのは当たり前。魚の入荷の情報もLINEなら写真と一緒に伝えられます。鮨職人がそれに対して「買います」と返信すれば、数時間後には店に魚が配送されてくるというわけです。
もはや顔を合わせる必要も、直接魚を見る必要もない。SNSだけですべてがこと足りるのだから、毎朝魚河岸に行くのはただの時間のロス。その時間をおつまみの仕込みに充てた方がお客さんのためにもなる。それが常識になりつつあるのです。
早川 光
著述家