有名作品ともなれば今や数百億円で売買されるケースもある「フランス近代絵画」。本連載では、このフランス近代絵画を中心に取り扱う翠波画廊の代表である髙橋芳郎氏に、フランス近代絵画の魅力、そして「資産」として見た場合の価値などについて、詳しく解説していただいた。

芸術を発展させたフランスの「自由主義文化」

ゴーギャン『いつ結婚するの』3億ドル(約355億円)

セザンヌ『カード遊びをする人たち』2億5000万ドル(約200億円)

ピカソ『アルジェの女たち(バージョンO)』1億8000万ドル(約215億円)

モディリアーニ『横たわる裸婦』1億7000万ドル(約210億円)

(※円換算レートはいずれも売買当時のもの)

 

これらは、2010年代におけるフランス近代絵画の高額取引事例です。いずれも絵画の価格としては破格でしょう。注目したいのは、これらの画家が全員、同時代のフランスに生きて活躍していたことです。1839年生まれのセザンヌから、1884年生まれのモディリアーニまで、その年齢の差は45歳ありますが、世界史の視点でみれば、19世紀末から20世紀初頭にフランスで絵を描いていた同時代人です。なぜ、当時のフランスには綺羅星のごとく、才能豊かな画家が集まっていたのでしょうか。

 

それはフランスの自由主義的な文化が、芸術家の創造力を存分に伸ばしたためではないかと考えます。ピカソはスペイン、モディリアーニはイタリアの生まれですが、当時、芸術の都と呼ばれたパリに来てから、その才能を開花させています。ロシアから来て、その代表作の多くをパリで描いたシャガールも後年「芸術の太陽はパリにしか輝いていなかった」との言葉を残しています。

 

[PR]「いつまでも残る本物の一枚を」
作品のご購入なら美術史に名を遺す、20世紀フランス巨匠絵画・翠波画廊へご相談を

 

芸術を発展させたフランスの自由主義文化とは何か? これは、仕事でフランスに滞在し、フランス人と付き合ってきた私の思うところですが、フランスでは、個人のパーソナリティが非常に尊重されているように思います。反対に、日本ではその人の職業がパーソナリティや私生活にまでおよんで制約されることが多いように思います。例えば、真面目で仕事熱心な学校の先生が、プライベートで女装趣味があったとしたら、日本では「公職に就く人が何ということか」と非難されるのではないでしょうか。フランスでは、仕事は仕事であって「個人としてそのような趣味があってもいいじゃないか」というような寛容さがあるように感じます。作業服を着て仕事をしている人でも、プライベートではファッションにこだわりがあっておしゃれを楽しむようなことがあるから、ファッションの文化が発展したのでしょう。

 

フランスならではの面白い話ですが、前大統領のオランド大統領は不人気で国民の支持率も10%代と低迷していました。ところが、ある女優と不倫をしていたことが公になって報道されるや「オランドもなかなかやるじゃないか」と支持率が一瞬上がったなどということがありました。大統領が私生活で不倫をしていても、職務に支障がなければ個人の自由として容認さる、そんな空気がフランス社会にはあります。

 

一方、日本では、学校の先生の女装趣味がばれたら、父兄から有形無形の圧力をかけられて、職場にいづらくなるような気がします。政治家の不倫も、マスコミやネットで叩かれて、次の選挙での再選が難しくなるでしょう。ある意味では、非常に息苦しい社会です。

 

フランスにも同調圧力がないわけではないですが、それは個人として自立することに対しての圧力であって、個人がどのような趣味嗜好を持っていようが、不干渉であると感じます。夫婦であっても男と女ですから、お互いに同意のうえで、家庭外に恋人を持つことも多いようです。結婚して子どもを持って、家庭ではパパやママであっても、やはり一人の人間であるとの意識が強いからでしょう。


そのようなフランスだからこそ、個性的な画家たちによる芸術文化が花開いたのではないでしょうか。

描き手は「職人」から「芸術家」に

では、20世紀初頭のパリで花開いた芸術文化はどのようなものだったでしょうか。
私の考えでは、それは人類史上初めての、絵画を通して自己表現を行うアーティスト(芸術家)の誕生にほかなりません。19世紀以前の画家は、程度の差はあれアルチザン(職人)と呼ばれるものでした。貴族などお金持ちのパトロンの依頼を受けて、写真の代わりに肖像画を描いたり、建物の装飾用の壁画を描いたりすることは、自己表現というよりも、職人に近いものでした。もちろん職人といっても、誰でもがなれるわけではなく、特別の才能が必要であることは芸術家と変わりません。

 

印象派の代表作家であるルノワールですら、お金と引き換えに数多くの肖像画を描いています。しかし、ルノワールは、自分の描いた絵を見た人にどれだけ感動を与えられるかを意識し、自分の表現欲求に従って、肖像画とは別に、数多くの女性の絵を描きました。このように、芸術家の芸術的感興によって描かれた絵は、私たち見る者を深く感動させることになりました。職人から芸術家への変化――それが、ピカソやモディリアーニといったフランス近代絵画の正体です。

 

ユトリロ「ジャン・デュラン通りとスタンの教会(セーヌ=サン=ドニ)」(油彩10号)
ユトリロ「ジャン・デュラン通りとスタンの教会(セーヌ=サン=ドニ)」(油彩10号)
 

芸術とは、日常から離れた時空間に連れていってくれるものだと、私は思います。素晴らしい芸術作品を見たときの感動は、日常生活を離れた陶酔をもたらしてくれます。その始まりともいえるフランス近代絵画は、100年以上経った今でも多くの人を魅了し惹きつけています。冒頭に掲げた高額の価格は、それだけ絵に魅了され、なんとしても自分のものにしたいと欲する人が多いことを示すものです。

「フランス近代絵画」と「アメリカ現代美術」の違い

残念なことに、フランス近代絵画の隆盛は、長くは続きませんでした。第二次世界大戦が始まってしばらくすると、ドイツに占領されたパリからは芸術家の姿が消え、代わってニューヨークが芸術の中心地となったからです。戦後、アメリカは経済的に一人勝ち状態となりました。その中心都市ニューヨークは、芸術のパトロンとして十分すぎるほどの財力を有していました。しかしながらその後、アメリカのプラグマティズム(実利主義)の元で発展した現代美術は、芸術的な甘い感傷など不必要なようで、フランス近代絵画にあった、鑑賞者を魅了するという芸術本来のありかたを欠いているように感じます。

 

アメリカの現代美術では、芸術家が作品を作り出すときのコンセプト(概念)が最も重要です。優れた芸術家が生み出した作品が、それを見る人に感動を与えるといった、作品と鑑賞者の関係性は二の次になってしまいました。今の現代美術は、作品の美しさを鑑賞するよりも、作品の背景にある意味を読み解くことが重視されています。作品そのものよりも、作品の裏にあるストーリーやメッセージのほうが大切になったからです。そのようなアメリカ現代美術をさして、美術評論の第一人者トム・ウルフは「現代美術は文学になった。テキストの図解をするためにしか存在していない」それまでの絵画に求められた芸術的感動とは別の解釈で理解する違ったものになったと語っています。

 

[PR]「いつまでも残る本物の一枚を」
作品のご購入なら美術史に名を遺す、20世紀フランス巨匠絵画・翠波画廊へご相談を

 

また、作品の価格も、アメリカの現代美術は、「価格が高いから価値がある」というようなものになっています。フランス近代絵画が多くの人に感動を与えて、それを欲する人が多勢いるから価格が上がってきたのに対し、アメリカ近代美術は、高い作品には特別の価値があると言わんばかりの難解な意味づけで、高くなっているように感じます。

取材・文/田島隆雄
※本インタビューは、2017年8月14日に収録したものです。