・和久井健太(わくい・けんた)
京都にある洛中信用金庫に就職。入社三年目を迎え、北大路支店の営業部に配属されるも、引っ込み思案がわざわいして、苦戦。最近自分がこの仕事に向いているのか悩んでいる。
スマホが鳴った。和久井はディスプレイを見てぎょっとした。「こだま屋」とあった。
もしもしとスマホを耳に当てながら、内田先生に頭を下げて、その場から離れた。
「和久井でございます」
その口調は完全に営業のものになっていた。
〈ああ、和久井はん、休みの日にすまんな。実は前に、ちょろっと耳に入れさせてもうた件なんやけど〉
嫌な予感がした。ものすごく……。
〈やっぱりこれを機に、住菱銀行さんに世話になろうと思とります〉
予感は当たった。借り換えの通達だ。金貸し業に携わる者にとって一番嫌な連絡だった。
「そ、それはなんとか考え直していただけないでしょうか」
〈なんべんも考えた結果をお伝えしてるんでっせ。せやないと、日曜日にわざわざこんな電話かけしまへん。けったいなこと言わはるわ〉
相手の語調は急に冷たくなった。
〈なにもうちは、洛中信金さんとお付き合いしてきたつもりはあらしまへんで。オヤジの代から世話になってきたのは仁科さんやと思てます。せやからこれが、ちょうどええ機会やったんやないかと思てるんですわ〉
仁科というのは、先月退職した大先輩の営業マン仁科徹さんのことである。営業一筋で、洛中信用金庫を定年まで勤め上げた。定年後も、前理事長から、あと少し力を貸してくれと言われ、籍を置いていたが、理事長の退任と同時に完全に身を引くことになった。
その仁科さんの顧客の、かなりの部分を引き継いだのが和久井である。
しかし、人付き合いを大切にする京都の取引先は、仁科さんの退職を機に金利の安い都市銀や地銀に借り換えるものが出てきた。
「一応これまで世話になった義理かと思って」
〈こっちが相談した話も、いいようにあしらわれたよって〉
「金利ですか」
〈ほかに何か頼みましたやろか〉
相変わらず、きつい言い方をする。確かに、もう少し金利を下げてもらえないかと言われたことはあった。しかし、これは和久井が決められることではない。一応上司に相談したが、話にならなかった。金利のダンピングでは、信金は都市銀には勝てないのだ。
「そこをフォローするのが信金マンの力だ」
イケイケ体質の支店長はそんなことを言った。実際、仁科さんはそれをやってきたのである。しかし、入社して三年目の和久井にベテランの穴埋めは荷が重かった。
〈明日の午前中に住菱銀行さんが来はるから、一応これまで世話になった義理かと思って、いらん電話してるんや。ほな、さいなら〉
切れた。
これはマズいなと思いながら、和久井は水割りのグラスを手に取った。胃がしくしく痛んだけれど、飲まずにはいられない気分だった。