・和久井健太(わくい・けんた)
京都にある洛中信用金庫に就職。入社三年目を迎え、北大路支店の営業部に配属されるも、引っ込み思案がわざわいして、苦戦。最近自分がこの仕事に向いているのか悩んでいる。
・白崎葉子(しらさき・ようこ)
京都のローカルテレビ局・都放送でディレクターをしている。和久井とは立志舘大学経済学部の同期で同じゼミ。飾らない気さくな性格で学生時代は人気者だった。
会場から拍手が起こった。
スピーチを終えた鴨下が壇上から降りていた。
フロアーに和久井を発見した鴨下が「よっ」と軽く手を上げた時、その仕草に得意があるように感じられた。
「ちょっと、内田先生に挨拶してくる」
和久井はウーロン茶のグラスを置くと、演壇の脇で同期の白崎葉子と話している内田教授に近づいて、頭を下げた。
「先生ご無沙汰しています。こんな格好ですみません。そして、その節はありがとうございました」
いやいやと内田先生は手を振った。
「僕のほうこそ期待だけさせて、具合が悪かったな」
「とんでもございません」
実は、卒業後、内田先生の研究室に立ち寄った折に、「どうだ、元気でやってるか」と訊かれ、「いや、なかなか実社会はキビシイです」と弱音を吐いたら、
「去年、妻が死んで、独り暮らしになったんやけど、娘が同居しよう言うてくれてな。そんで、二世帯住宅にするために、住宅ローンを組もかて話が持ち上がってるさかい、和久井が勤務する洛中信金さんで世話になられへんかて娘婿に訊いてみるわ」と言ってくれた。
社会に出たできの悪い教え子が苦闘しているので、見るに見かねてそう提案してくれたことは明白だった。和久井は素直に喜んだ。しかし、タイミング悪く、娘婿のほうは地銀でローンをまとめてしまい、この話はお流れとなった。しかし、その心遣いだけはありがたかった。
「元気だよ、一応」
「どう、元気なん?」
隣に立っていた白崎葉子が言った。
「まあまあかな」
和久井はとりあえず、そういうことにした。
「去年の夏、丸太町を歩いているところを見たよ。黒い鞄さげて」
「なんだ、声かけてよ」
「そうしたかったけど、こっちも取材の前でテンパってたんやもん」
白崎葉子は京都のローカル局・都放送でディレクターをしている。一度、大文字の送り火をバックにマイクを握っているのを見たことがある。小さな局なのでディレクターもレポーターを兼ねたりするのだろう。
「元気ならええやん」
葉子は笑って言った。
「元気だよ、一応」