・和久井健太(わくい・けんた)
京都にある洛中信用金庫に就職。入社三年目を迎え、北大路支店の営業部に配属されるも、引っ込み思案がわざわいして、苦戦。最近自分がこの仕事に向いているのか悩んでいる。
・桜四十郎(さくら・しじゅうろう)
偶然入った喫茶店で出会った職業、住所、年齢ともに不定の謎の中年男性。なぜか金融関連の事情に詳しく、和久井にいろいろとアドバイスをするように。
和久井はここで、前からの疑問を打ち明けた。
「桜さんって、いったい何者なんですか」
桜さんはニヤッと笑ってビールを飲んだ。
「あんなところでホームレスやってるなんて」
「まあ、ちょっと金が底をついたからだよ」
「どうして働かないんです」
「まあ、そのうちな」
「前の仕事はなんですか」
「土方とか、植木屋の見習いとか」
「その前は?」
「ま、野暮はよそうや」
「そんな・・・」
「いいじゃないか、こんなうまい肉食ってるんだから。つまらん話をさせんな」
「僕はつまんなくないですよ」
「俺はつまんないね」
「仕事のために女をつくれって言ってるんですか」
「じゃあ、なんの話ならいいんですか」
「お前、彼女いないのか」
「いません」
「欲しくないの?」
「そんなわけないじゃないですか」
「彼女にしたいって女もいないのか。職場結婚って多いんだろう?」
「職場にはいないんですが……」
和久井の脳裏に、学生時代から想いを寄せている白崎葉子が浮かんだ。
「俺みたいなのは駄目ですよ」
「なんで」
「なんでって言っても、もう知り合ってから長いんで、相手が俺に興味がないってことはわかるんです」
「はーん、学生時代からなんだな」
和久井はうなずいた。
「なんで、お前じゃ駄目なんだ。しがない信金マンだからってお前が勝手に決めてるだけなんじゃないのか」
図星を指された和久井は無意識に話をそらした。
「それに共通の知り合いもいるし、無駄な告白して雰囲気悪くなるのもつまらないじゃないですか」
桜さんは、ふーん、そんなもんかねえ、と言って缶ビールを呷るとニヤッと笑った。その笑いに、まあそこはこれ以上追及しないでやるよ、といった寛容さが感じられた。が、またしばらくすると、ホルモンをつつきながら桜さんは言った。
「俺は周りの連中の振る舞いなんか気にせず、告白したほうがいいと思うけどな」
和久井は答えず、カクテキを頬張った。
「お前のように、とりわけ二枚目ってわけでもなくて、金もそんなに持ってないけど、ちゃんと女を口説くことができたら、仕事もできるようになるぜ」
「仕事のために女をつくれって言ってるんですか」
「それはちがうな」
「どう違うんですか」
「そのふたつは同じなんだ。仕事も女も、お前の人生を生きるってことにほかならないんだよ」
なんだか、わかったようなわからないような物言いである。よし、だったらこの線でもう一度桜さんの過去をほじくり返してやろう、と和久井はたくらんだ。