(※写真はイメージです/PIXTA)
医者になれなかった父
「うちは父も兄2人も医者でした。ですが、私は本当に数字が苦手で……。文系だったんです。父にも兄たちにも蔑まれましたよ」
暗い表情でそう振り返るのは、都内在住のマモルさん(65歳)。自身は医学部進学を断念したものの、大手メーカーへ入社し高給取りとなりました。同世代と比較すれば十分すぎるほどの収入を得ていたマモルさんですが、過去に味わった「自分だけが医者になれなかった」という劣等感と悔しさを、拭い去ることができずにいたといいます。
その夢は、妻のミサさんとのあいだに生まれた一人息子のトオルさんへと託すことに。
「息子はなんとしても医者にする。そう思っていたんです」
マモルさんはトオルさんの幼少期、理系脳を育てるための知育教室や個別指導に次々と通わせました。しかし、成長するにつれて見えてきたのは、トオルさんの適性です。頭の回転は決して悪くはないものの、飛び抜けた才能があるわけではなく、適性としては「どちらかといえば理系」という程度。医学部合格を目指すには努力が必要と、当時の講師にもいわれます。
マモルさんは、息子を私立の中高一貫校へ進学させ、大手進学塾の特進コースや医学部専門の家庭教師をつけます。ミサさんもパート勤務に出ることで家計を支え、息子の教育費を賄ってきました。
高校3年時の大学受験では、第一志望の国公立大学医学部は不合格。私立大学医学部を複数受験したものの合格ラインには届かず、一浪の末に合格したのは第四志望の私立大学医学部のみでした。
「学費は6年間で約3,600万円。中高の学費や塾代、浪人費用を含めると、トオル1人にかかった教育費は累計で5,400万円に達していました。老後資金を取り崩し、家計は火の車でしたが、『医者になってくれさえすれば、すべて報われる』と信じていたんです」
しかし、試練は大学卒業後に訪れました。6年間の学業を終えたトオルさんでしたが、医師国家試験に不合格となってしまったのです。
国試浪人として1年間、予備校に通いながら猛勉強を重ねたトオルさん。しかし、翌年の試験でも桜が咲くことはありませんでした。合格発表の直後、自宅のリビングで膝を折るトオルさんは、弱々しい声で父親にこう告げました。
「父さん、俺……もう医者はあきらめる。これ以上勉強しても受かる気がしないんだ。もともと、医者にそれほどなりたいかというと、そうでもなかったし……。ごめん、これからは別の道を探したい」
その瞬間、マモルさんの頭の中は真っ白になりました。
(そりゃねえよ……。お前のために、俺たちがどれだけのお金と時間をかけてきたと思っているんだ……)
そう思いましたが、息子に伝えることはしません。うなだれるマモルさんを前に、トオルさんは俯いたまま黙り込んでいたそうです。
その後、トオルさんは医学部で得た知識を生かす形ではなく、一般企業の文系総合職として就職することを決めます。高額な学費を注ぎ込んだ末に待っていたのは、一般的なサラリーマンとしての出発でした。
「息子の選択を責めたい気持ちと、自分のコンプレックスを押し付けて無理をさせてしまったという後悔で、胸が潰れそうです。手元に残ったのは、大幅に削られた老後資金だけでした」