「年金は受け取りを遅らせるほど増えるから、できるだけ待ったほうが得」――そう考えて繰下げ受給を選ぶ方が増えています。しかし繰下げは、メリットばかりではありません。受給を待っている間に本人が亡くなると、増えるはずだった年金を受け取れないばかりか、本来の年金の一部まで消えてしまうことがあるのです。さらに、遺された配偶者の年金の受け取り方にも思わぬ落とし穴が…。年金問題に強い特定社会保険労務士のゆかねぇ先生が、実例をもとに解説します。※個人の特定を避けるため、情報の一部を脚色しています。
「年金が増えるって聞いたから繰下げを選んだのに…」年金の繰下げ受給を待っていた72歳夫が急死。68歳妻が失った〈本来もらえたはずの年金400万円〉【社労士が解説】 (※写真はイメージです/PIXTA)

繰下げ待期中の家族が損をしないために、社労士からのアドバイス

次に、遺された恵子さんご自身の年金です。まずは、恵子さんに支給される遺族厚生年金の額から確認しましょう。

 

遺族厚生年金は、原則として亡くなった方の老齢厚生年金の「報酬比例部分」の4分の3です。この報酬比例部分は、厚生年金に加入していた期間の標準報酬月額・標準賞与額(いわば給与や賞与の額)の平均と、加入月数をもとに計算されます。

 

ここで見落としがちなのが、遺族厚生年金のもとになるのは、あくまで標準報酬月額などから計算した「本来の額」の報酬比例部分だという点です。繰下げによる増額は、本来の報酬比例部分にあとから上乗せされる「繰下げ加算額」という別枠の扱いになるため、遺族厚生年金の計算には含まれません(経過的加算額や加給年金額も同様に含まれません)。

 

誠さんの場合、72歳まで繰下げが成立していれば、報酬比例部分は120万円×1.588=約190万円になっていた計算です。仮にこの額をもとにすれば、遺族厚生年金は約143万円になります。

 

しかし実際に計算の基礎となるのは本来額の120万円で(【図1】(4)参照)、その4分の3にあたる年90万円が恵子さんの遺族厚生年金となります。7年間待った繰下げの増額分は、遺族にも引き継がれないのです。

知らないと損する、遺族厚生年金の「先あて」システム

さらに押さえておきたいのが、遺族厚生年金の「先あて」という仕組みです。65歳以上で自分の老齢厚生年金がある人は、まず自分の老齢厚生年金が優先して支給され、遺族厚生年金はその額を差し引いた分だけ支給されます。これが実務で「先あて」と呼ばれるルールです。

 

恵子さんの場合、「老齢厚生年金20万円+遺族厚生年金70万円=合計90万円」という内訳になります。なお、老齢基礎年金はこの先あてには関係なく、別枠で支給されます。

 

また、繰下げ待期中に遺族厚生年金の受給権が発生すると、繰下げはそこで打ち止めになります。恵子さんは68歳0か月なので、3年分・25.2%の増額で、老齢厚生年金は約25万円になります。

 

ところが、老齢厚生年金が5万円増えても、その分遺族厚生年金が65万円に減るだけで、合計は90万円のまま変わりません。しかも遺族年金は非課税ですが、老齢年金は課税対象です。繰下げると課税される部分だけが膨らみ、手取りはかえって減ってしまうおそれがあります。

【図2】恵子さんの老齢厚生年金を繰下げた場合と本来請求した場合の比較

 

「老齢基礎年金だけを繰下げる」という提案

そこで筆者が提案したのが、「老齢基礎年金だけを繰下げ、老齢厚生年金は本来請求する」という方法です。

 

繰上げと違い、繰下げは基礎年金と厚生年金を別々に選べます。老齢厚生年金は65歳にさかのぼって本来請求し、3年分・約60万円を一括で受け取る。一方、先あての影響を受けない老齢基礎年金は繰下げを選び、約80万円から約100万円に増えた額を生涯受け取る。これが、恵子さんにとって最も多く年金を受け取れる方法でした。

 

本事例のまとめ:夫婦の年金の最終的なゆくえ

1. 夫の年金(未支給年金)

繰下げの増額は反映されず、本来の額で67歳から72歳までの5年分(約1,000万円)を妻が一括で受給。

2. 消滅した部分

時効により、65歳から67歳までの約2年分(約400万円)が消滅。繰下げによる増額分も、遺族厚生年金には引き継がれない。

3. 妻の年金(生涯の受取)

老齢厚生年金は本来請求で3年分(約60万円)をさかのぼって受給。老齢基礎年金は繰下げで増額し、遺族厚生年金とあわせて生涯受け取る。

年金に強い社労士が教える【3つの防衛策】

1. 「繰下げは本人の意思表示」であることを理解する

繰下げ待期中に配偶者が亡くなると、増額分は受け取れず、場合によっては時効で消える部分も出てきます。繰下げを選ぶ際は、夫婦の年齢や健康状態も踏まえ、「もしも待っている間に亡くなったらどうなるか」まで家族で共有しておきましょう。

2. 遺族年金が絡むときは、基礎年金と厚生年金を分けて考える

配偶者の遺族厚生年金を受け取る可能性が高い人は、老齢厚生年金を繰下げても先あてに吸収され、受取総額が増えないことがあります。老齢基礎年金だけを繰下げるなど、別々に検討することが大切です。

3. 請求する前に、必ず年金事務所や専門家(社労士)に相談する

年金は一度請求してしまうと、二度と取り返しがききません。繰下げを選ぶ人が増えるなか、今回のように待期中に配偶者を亡くすケースは今後さらに増えていくと考えられます。手続きの前に、世帯全体で最も多く受け取れる方法を確認しておくことが、後悔しないための一番の防衛策です。

 

 

坂部 由佳
オフィス・ゆか
特定社会保険労務士