どん底から見つけた「事業再生家」という第二の人生
祖父の代から続いた家業を継ぎ、年商1億円から50億円まで伸ばすなど、ある時期までは非常に順調でした。しかし、調子に乗り過ぎた結果、30億円もの負債を抱えることになってしまったのです。ですが、どん底も悪いことばかりではありません。それ以上落ちようがないわけですから。
競売で9つの物件を失いましたが、自宅だけは残りました。すべての資産を失ってどん底の状態に陥っても妻は見捨てず、一家離散も免れたのです。3人の娘はそれぞれ結婚し、田舎に帰れば6人の孫がいます。今では家族全員で楽しく食事会を開けています。
「転んでもただでは起きない」の言葉通り、この大失敗と実体験を糧にして「事業再生家」として第二の人生を歩もうと決意しました。
「過剰債務は解決できます」とセミナーで伝え、「力を貸してほしい」というオーナー経営者からのご依頼に対して個別にお手伝いを続けてきました。その結果、20年間で1,000社以上のご依頼にお応えし、実績を積み重ねることができたのです。
55歳で大学院進学を決意
事業再生家としての業務が軌道に乗り、今後の人生を見つめ直した際、「実務経験はあるが、アカデミックなことを学びたい」という思いが強まりました。そこで、学生の半数が海外の留学生というユニークなアジア太平洋大学を作った、立命館の先進的な校風に惹かれ、立命館大学の経営大学院へ進学を決意したのです。
経営大学院は、大手中堅企業の30〜40代社員が切磋琢磨する場でもありました。昼間は働き、平日の夜間や土日に講義を受ける環境に刺激を受けました。ここでファイナンスを学んだ経験が、ターニングポイントとなり、現在の事業へ繋がっています。大学院の恩師に社外役員や顧問就任をお願いしてご快諾いただいたり、優秀な後輩の中から後継者をスカウトしたりすることもできました。
そして何より、現在注力している「非上場株式の現金化」というビジネスモデルの発想がここで生まれたのです。
時流変化の中で探り当てた新市場
55歳で大学院に入学し、58歳でMBAを取得した頃、事業再生マーケットの縮小が目に見えてきました。国が公的機関「中小企業活性化協議会」を設立したことで、私どものような民間コンサルタントへの依頼が減少傾向に転じたためです。しかし、この時流の変化の中で、大学院で培ったファイナンスの知識が活きてきました。
きっかけは、非上場株式を所有する事業再生のご相談者様からの「これをお金に換えられませんか?」という一言でした。会社法をあらためて読み解き仮説を立て、「その株式を買い取ります」と提案したのです。買い取った上で「会社法に則り発行会社へ譲渡承認請求を行う」という仕組みを構築したところ、これが成果につながりました。
株式の発行会社側に我々を株主として認めてもらい、認めてもらえない場合は会社や指定買取人に株式の買取りを請求します。実行してみると双方に喜ばれました。株主にとっては紙切れ同然だった株券が現金化され、会社側にとっては分散していた株式が集約されて経営権が安定し、次世代へバトンタッチできるようになります。「これは確実にお役に立てる」と確信し、我が社の「オーナー社長を応援する」という経営理念にも合致するため、事業として本格化させました。
この斬新なサービスを認知してもらうため書籍の出版を決意し、幻冬舎から刊行しました。読者から直接のご相談が相次いだことで「確実なニーズがある」と確信を得ました。
私は現代マネジメントの父と称されるピーター・ドラッカーの経営学を学びましたが、これこそ彼が言うイノベーションの「予期せぬ成功」そのものです。ドラッカーは「未来は予測できない。しかし未来を創ることはできる」と述べています。このクリエイティブな言葉に背中を押され、立てた仮説が見事に実を結んだのです。
忘れられない現場:闇金からの脱出、100年企業の再生
これまで事業再生の現場で、数々の過酷な修羅場を解決してきました。
多重債務と高利貸しからの脱出
売掛先の倒産により資金繰りが悪化し、商工ローンや消費者金融、さらには「トサン(10日で3割)」の闇金にまで手を伸ばしてしまった木工会社の事例です。わずか50万円の借入が、半年で4,000万円に膨らんでいました。そこで「第二会社方式」を採用し、娘さんを新会社の社長に据えて旧債務を切り離すことで再生を果たしました。「これで無事に年を越せます」とご家族から涙ながらに感謝されました。
売上が3分の1に落ち込んだ100年続く老舗楽器店
近隣にある音楽大学の移転に伴い売上が激減した、創業100年の老舗楽器店の事業再生です。所有不動産や在庫ピアノの売却、定期預金の解約や他事業の整理を断行して資金を捻出し、翌年には店舗を新築し、会社再建まで漕ぎ着けました。
こうした困難な案件を解決できたことが大きな自信となり、事業再生家としての強いやりがいへと繋がっています。
家業100周年に託した「次世代へのバトン」
陶器店から始まった我が家の家業は、祖父、父、そして私へとタスキが受け継がれてきました。一度は私がそのタスキを落としかけましたが、長女と三女が拾い上げ、見事に再興を果たしてくれました。
冠婚葬祭の文化様式が変わりギフト市場が縮小する中、創業100周年の節目に、私は娘たちへ「発達支援の放課後等デイサービス」事業の立ち上げを提案しました。きっかけは、発達支援を必要とする孫が生まれたことです。「この子に健やかに育ってほしい」という切実な思いが原点でした。
この事業は国からの公的サポートが手厚いため経営基盤が安定し、不安を抱えるご両親にとっても「安心して預けられる場所」として精神的な支えになります。社会貢献事業として非常に価値があると判断し、現在は運営を娘夫婦に全面的に任せています。
50〜60代の経営者に伝えたいこと
私のモットーは「生涯現役・一生挑戦」です。かつては「50歳定年説」もありましたが、現在は65歳にならなければ年金が受給できません。むしろ積極的に社会へ関わり続ける方が、健康でいられると考えています。毎日が休日のようになってしまい、一気に老け込んでしまう方をこれまで数多く見てきました。現役で働き続けたり、ボランティア活動で社会に貢献したりする元気なシニアが増えることこそが、社会にとっても望ましい姿ではないでしょうか。
「年金に頼らず、自ら稼いだお金で子供や孫の挑戦を応援する方が面白い」――私はそう考えています。「60歳を過ぎたら人生上がり」ではありません。
人生100年時代です。50代・60代の経営者の皆さん、まだまだ現役で挑戦していきましょう!
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