相続対策と聞くと、相続税を抑えるための生前贈与や資産組み換えを思い浮かべる人は多いかと思います。しかし、相続対策は相続税を抑えることだけが目的ではありません。時には、「相続税が高くなったとしても自分の納得のいく方法を選びたい」というケースもあります。今回は、両親が守ってきた実家を、ゆくゆくは自分が親権を持って育ててきた次男に残したいと考えている美香さん(仮名・55歳)の事例をもとに、相続に強い司法書士の田中康雅氏が解説します。
「相続税が約760万円も安くなるのに、なぜ…?」大切な両親の実家<時価総額1億2,000万円>を、55歳長女が"あえて”相続しなかったワケ【司法書士が解説】 (※写真はイメージです/PIXTA)

実家は、私が親権を持って育ててきた次男に残したい

「父の実家は、ゆくゆくは長男ではなく、自分が育ててきた次男に残したいと思っています」

 

父親を亡くした美香さん(仮名・55歳)は、母親の佐和子さん(仮名・78歳)と相談に来られました。

 

父親の相続税上の財産は約1億円。内訳は、自宅の相続税評価額が約7,000万円(土地約9割、建物約1割)、預金などが約3,000万円です。自宅の時価は約1億2,000万円でした。

 

今回の父親の相続に直接関係するわけではありませんが、美香さんには、離婚した元夫との間に長男と次男がいます。長男は幼い頃から元夫側で育ち、次男は美香さんが育ててきました。次男はすでに持ち家がありますが、両親が守ってきた実家は次男に残したい、というのが美香さんの希望でした。

 

長男にも遺留分という、法律上保障された最低限の取り分があります。その権利を理解したうえで、実家を次男へつなぐ方法を考えたいという相談でした。

 

相続税の試算は、連携する税理士に依頼しました。税額の判断は税理士の領域です。私は司法書士・相続アドバイザーとして、そこから先の整理を担います。

 

美香さんが父親の財産をすべて相続すると、父親の「一次相続※1」の相続税は約770万円です。母親である佐和子さんの預金は4,000万円あり、4,000万円を将来的に美香さんが相続する際の「二次相続※2」の相続税は約40万円。二次相続を含めた美香さんの相続税の合計は、約810万円です。

 

※1  一次相続:両親のうちの一方が亡くなったときに発生する、最初に行う相続のこと。
※2  二次相続:一次相続で相続人となった配偶者が亡くなったときに発生する相続のこと。

 

一方、佐和子さんが自宅を相続すると、一次相続は配偶者の税額軽減と小規模宅地等の特例により約46万円。美香さんが二次相続によって自宅の評価額7,000万円と預金4,000万円を相続すると仮定すれば約1520万円となり、佐和子さんと美香さんの相続税の合計は約1,566万円です。

 

単純比較では、美香さんがすべて相続するほうが約760万円も相続税が安くなりました。

 

相続税と遺留分では、自宅の価値を測るものさしが違う

数字の上では、答えが出ているように見えました。しかし美香さんが自宅を相続すれば、その自宅はいずれ、美香さん自身の相続財産になります。

 

相続税では路線価などをもとにした評価額を使いますが、遺留分では相続開始時の実際の価値、つまり「時価」が問題になります。今回の自宅は、評価額約7,000万円に対して時価は約1億2,000万円。財産における自宅の割合が大きい家庭ほど、この差は開きます。

 

相続対策は、一次相続と二次相続までで考えるのが一般的です。しかし自宅のように価値の大きな財産では、その次の相続――今回なら美香さんの相続――まで見ておく必要があります。実家の承継は、一代では終わらないからです。

 

美香さんが自宅を取得すると、将来の財産は、自宅の時価約1億2,000万円と、父母から受け継ぐ預金など約7,000万円を合わせて約1億9,000万円になります。「すべて次男に相続させる」という遺言を作っても、美香さんの相続で長男が持つ遺留分は、現在の財産価値を前提にすると概算約4,750万円です。

 

しかも、自宅は高い価値があっても収益を生みません。美香さんの相続の際、次男が実家を取得しても、遺留分を支払う現金がなければ、売却せざるを得ない可能性があります。

 

目の前の相続税を約760万円抑えることが、将来の家族にとって一番よい選択とは限らなかったのです。