日本の定年退職者の多くが直面するのが、収入の減少と生活スタイルの再構築です。長年、家計管理をパートナーに委ねてきた世代にとって、セカンドライフの資金計画は不透明な不安材料になりがちです。ある退職者のケースを通じ、今どきの定年退職世帯の資産形成について見ていきます。
「妻がこんな人だったとは…」〈退職金2,200万円〉〈想定年金月19万円〉60歳定年夫、妻の「預金通帳」を二度見し、確信したこと (※写真はイメージです/PIXTA)

「俺が養っている」という慢心

都内のコンサルティング会社を定年退職した高橋宏さん(60歳・仮名)。退職金は2,200万円、再雇用後の給与は月30万円ほど、将来の年金は月19万円ほどを見込み、老後資金に特段の不安はないだろうと考えていました。

 

「ないだろう」というのは、宏さんが現状をきちんと把握していないからです。結婚してから今まで、家計管理のすべてを妻の美智代さん(58歳・仮名)に委ねてきました。

 

「現役時代は技術屋として、ずっと現場を回っていました。家計のことは全部妻に任せきりで、自分は決められた小遣いをもらうだけ。妻は専業主婦だし、真面目な性格だから、渡した生活費の中で文句も言わずにやりくりしてくれている。余ったら私たちの老後を見据えて、コツコツと貯金をしてくれている――そう思っていました」

 

高橋さんには、自分の稼ぎで家族の生活を支えているという自負がありました。一方で、20代後半で結婚してからずっと専業主婦の妻に対しては、社会の動きには鈍感なはずという先入観を抱いていたといいます。

 

「妻が働いていたのは、今から30年近く前のことですからね。そのあとは子育て中心の生活でしたから、社会の動きに疎くなっても当然と考えていたんです」

 

退職から数週間後、今後の資産計画を話し合うため、高橋さんは美智代さんと食卓を囲みました。

 

「再雇用後の収入や年金の見通し、それから退職金の使い道を、私が主導して説明しようとしたんです。ところが、私が本題に入る前に、妻は数冊の通帳とタブレット端末を私の前に置きました」

 

美智代さんが提示したのは、長年管理してきた複数の口座記録と、証券会社のマイページ画面でした。そこには、高橋さんがまったく把握していなかった「5,000万円」という資産額が表示されていたのです。

 

「本当に驚きで、思わず二度見してしまうほどでした。内訳を見ると、私が渡していた生活費の余剰分や、彼女が細々と続けてきたパート代、さらに私が独身時代に残していた貯蓄の残りを原資として、20年近く前から投資信託や株式に分散投資されていたんです。それも手数料の低い商品を長期間積み立てる、非常に合理的な運用でした」

 

高橋さんが「なぜこれほど大きな資産を築けたのか」と問いかけると、美智代さんは落ち着いた声で答えました。

 

「あなたが定年を迎えたとき、お金の心配をせずにいたいな、そう思っただけです」

 

高橋さんは、自分が「世間知らず」だと思い込んでいた妻が、実は自分以上に冷静に、家族の未来のために努力を重ねてきた事実に圧倒されました。

 

「『妻は社会の動きに疎いはず』なんて言っていた自分が恥ずかしくなりました。妻がこんなにもしっかりと資産運用ができる人だったなんて、結婚して30年、まったく気づいていませんでした。『家族が生活できるのは、俺が稼いできた金があるからだ』という傲慢な気持ちがあった……正直恥ずかしいです」

 

結婚30年、美智代さんの新たな一面を知るとともに、「妻といれば老後は安泰」と確信したといいます。