(※写真はイメージです/PIXTA)
老後を夫婦で楽しむはずが…
大手建材メーカーに40年以上勤務してきたヒロシさん(65歳)は、この春、定年退職を迎えました。最終日は部下たちから花束を贈られ、「長い間お疲れ様でした!」という拍手のなか、晴れやかな気持ちでオフィスを後にしました。
現役時代は仕事中心の生活でしたが、退職後は「ようやく自分の時間が持てる」と考えていました。退職金は1,500万円。厚生年金は月額15万円。住宅ローンは完済しており、現預金も合わせれば、それなりに蓄えがあります。読書や散歩に時間を使い、夫婦でゆっくり過ごす……そんな穏やかな日々であれば十分な額です。
しかし、実際に始まった定年後の生活は、ヒロシさんの想像とはどこか違うものでした。
「私の家事も定年なの」エンドレスうどん生活
退職翌日の午前8時。いつもなら満員電車に揺られている時間ですが、ヒロシさんはパジャマのままリビングにいました。
「え。今日ご飯は?」
当然のように出てくると思っていた食事を待つヒロシさんに、妻・ケイコさん(仮名)は面倒そうな表情を浮かべました。
「うどんあるでしょ。それでいいじゃない。いま冷凍庫にたくさんあるから」
翌日の昼も、その翌日の夜も、食卓に並ぶのは同じ「冷凍うどん」でした。ヒロシさんは困惑しました。せめてお米であれば、納豆や卵で自分でどうにかできるはずです。しかし、炊飯器は空のまま。ヒロシさんが「お米くらい炊いてもいいじゃないか」とこぼすと、ケイコさんは静かにこう言いました。
「お米を炊くとね、おかずが必要になるでしょう。冷蔵庫の中を確認して、買い出しに行って、何品か作る。献立を考える作業が、私にはもう重たいの。私だってもう家事から定年したい。いまは一品で完結するものしか作りたくない。それが嫌なら、自分の分は自分でやってちょうだい」
ヒロシさんは自分でなにか作ろうとキッチンに立ちましたが、すぐに立ち往生してしまいます。40年間、家事のすべてをケイコさんに委ねてきたヒロシさんには、キッチンの勝手がわかりません。棚をいろいろ漁ってどこになにがあるかはわかっても、いざ「一食分をゼロから作る」となると、なにをどう組み合わせて、どの順番で調理すればいいのか、まったく掴めないのです。ネットでレシピをいくつかみてみましたが、「車を出して大きいスーパーへ行って、買い出しをして……」と考えていると、途中で面倒になってしまいました。
近所の小さなスーパーに行っても仕事を辞めてから大して動いていないためか、あまりお腹が減らず、食べたい惣菜がありません。結局、「一番手っ取り早いのは、うどんだ」とレンジのスイッチを押してしまう。
――それは、長年の受け身な生活がもたらした「生活能力の麻痺」でした。
時間はあるのに、やりたいことは見つからず
「ようやく持てた自分の時間」でしたが、いざ目の前に差し出されると、なにをすればいいかまったくわかりません。
学生時代からの友人は皆遠方に住んでいるか、まだ働いています。これといって没頭できる趣味もありません。現役時代のゴルフも、仕事の一部でしかありませんでした。朝起きても、誰からもメールは来ず、電話も鳴らない。妻はいつも習い事だ、友達とランチだ、といって留守にしています。テレビをつければワイドショーが流れていますが、自分とは無関係な世界の出来事のように感じられます。
「今日が何曜日かわからなくなる」
かつてはあんなに欲しかった自由な時間。目的のないいまとなっては、ただただ時間だけが過ぎていきます。レンジの加熱終了を知らせる電子音だけが響く静かなリビングで、ヒロシさんは「誰からも必要とされていない」という実感を、初めて噛みしめることになったのです。