50万円増えた!でも…。69歳男性「増え続ける資産」への複雑な心境

田中さんの平日は決まっています。朝9時頃、パソコンを開いて証券会社のサイトにアクセスし、資産の評価額をチェックするのが日課です。

「また今日も50万円増えてる……」

普通であれば、満面の笑みを浮かべるような場面でしょう。ですが、画面に表示される数字を見つめながら、彼は複雑な表情を浮かべます。

「最初のころは、ちょっと増えただけでも嬉しかったんですけどね。でも今は、月に200万円増えることもザラ。むしろ『これ以上増えてどうするんだ』って気持ちもあるぐらいです」

田中さんの総資産は約2億5,000万円。現役時代から続けてきた株式投資と投資信託は、まさに「勝手に増える」状態になっています。

J-FLEC「家計の金融行動に関する世論調査2024年」によれば、60代の金融資産保有世帯の中央値(小さい順に並べた真ん中の値)は1,140万円。70代でも中央値1,205万円です。田中さんの2億5,000万円は同年代平均の約20倍に相当し、客観的には「お金の悩みとは無縁」のはず。しかし、田中さんの苦悩は年を追うごとに増すばかりでした。

「ただの数字」でしかない資産の現実

「結局、これって全部『数字』でしかないんですよね」

田中さんが最も苦悩している点は、増え続ける資産が実感を伴わないことです。証券口座の残高は増えていますが、日々の生活で使うのは夫婦の年金(月30万円ほど)がメイン。3ヵ月毎に入る企業年金の40万円のほとんどと投資資産は温存し続けています。

現役時代は「定年したら妻とゆっくり旅行を楽しもう」と夢見ていました。しかし、いざそのときが来ると、資産を削ることに躊躇してしまうといいます。

「ほとんどが投資資産で、銀行口座には1,000万円もありません。だからか、妻と温泉旅行に行こうとしても『もったいない』と思ってしまう。2億円以上あるのに、安宿を選んでしまう自分が情けない」と言います。

投資資産を切り崩すこと自体、恐怖が先立ち実行できません。「一時的に減ってもすぐ増えていくフェーズ」に突入しているとはいえ、リーマン・ショックを経験している田中さんは「大暴落で半分、いや、それ以下になる可能性もある」という不安が完全にはぬぐえないといいます。

「増えても素直に喜べず、下落が不安になって使うことも憚られる。結局、ただ画面を見てるだけで時間が経ってしまいました。妻は投資の資産額を知らないのですが、私がお金を使いたがらないので、まさかこれほど持っているとは夢にも思っていないと思います……」

前述した調査では、老後の生活について「心配である」と答えた世帯が60代で75.8%、70代でも70.9%に達しています。その理由として最も多いのは「十分な金融資産がないから」(60代63.2%、70代63.5%)でした。

しかし、田中さんのように十分な資産を持つ人でも、老後への漠然とした不安は完全には消えません。それは、不安の正体が「お金が足りるかどうか」ではなく、「どう使い、どう終わらせるか分からないこと」に移っているからです。客観的な安心と主観的な不安は、必ずしも一致しないのです。