誰にでもある、実年齢と本人の意識のギャップ。 じつは、「今のおじいさんは、自分を老人とは思っていない」のだ――。自らもシニア世代の勢古浩爾氏(執筆当時77歳)の現代の老人に対する考察とは? 著書『おれは老人? 平成・令和の“新じいさん”出現!』(清流出版)の一部を抜粋・再編集してご紹介しよう。
昔のおじいさんも、自分は老人ではないと思ってたのか
昔の老人は自分をどう思っていたのだろうか。かれらも、ひとりでぼんやりしていたときは、老人という意識はなかったのかな、と考えた。いつの時代でも、老人という生き物は、そういうものかなと。
いやいや、そんなわけはあるまい。考えが浅はかだった。五木寛之や黒柳徹子が、自分は老人という意識がないというのなら、90年前の老人もそうだったのではないかと思ったのだったが、考えてみれば、五木や黒柳が老人になったのは、つい最近、2000年前後のことである。かれらも2000年以前は、まだ若かったのだ。
だから、昔の老人もまた、と思ったのだが、昔、の意味がちがう。最近、80、90になったのはだめだ。少なくとも、戦前、戦中に老人でなければ、昔の老人の対象たりえない。
しかし明治、大正時代の老人が、自分を老人だとは思っていない、なんてこと、到底ありそうではないのだ。戦前の老人ということでイメージするのは、もう一も二もなく笠智衆である。その次に、なぜか永井荷風である。長身の背広姿にハットをかぶり、ステッキをついていたダンディなイメージが思い浮かぶ。
調べてみると、笠智衆は明治37年(1904年)生まれ、永井荷風は明治12年(1879年)生まれで、驚いたことに笠智衆は荷風より25歳も若いのだ。なにしろ、『東京物語』に出演したのが四十九歳のときだものな。イメージはあてにならないものである。
荷風が死んだのは昭和34年(1959年)。七十九歳である。現在のわたしと2歳しかちがわない。だがかれが老年をどう思っていたのか、はわからない。『断腸亭日乗』を紐解けば、なにか書いているかもしれないが、そこまでするつもりはない。そこまでして、知りたいというわけではないのだ。
昔の老人は、まだ若いもんには負けんぞ、ということなら考えたかもしれない。実際、力が強いじいさんが多かった。しかしそれは、おれは老人じゃないと思っていたのとはちがう。
だいたいキャップをかぶってはいなかったし、半ズボンにスニーカーなど存在しなかった。バッグを斜めにかけたりしなかった。そんな妙ちきりんな格好をせずに、おれは老人ではない、などと考えるのは無理がある。パソコンもスマホももっていない。
いや、昔のじいさんが、自分をどう思っていたか、などどうでもいいではないか。ちょっと方向がまちがった。自分で書いておきながら、わからなくなると、やめてしまうのはわたしの悪い癖だが、考え直してみると、たしかに昔の老人のことなど、どうでもいいのだ。
現代の老人がどうなのか、がわかればいいのである。平成・令和に七十歳以上になった老人のことである。わたしを例にとれば、団塊の世代が初めて七十歳以上になったのは、2017年(平成29年)である。
そんな老人を典型的な現代老人と考えてみる。
