(※写真はイメージです/PIXTA)

クリニックにおいて優秀なスタッフの「確保」「定着」は常に課題であり、経営・営業の安定に直結します。しかし近年では、医療業界の労働環境は大きく変化しています。採用が難しいだけでなく、退職トラブルといった問題も増えているのです。このような状況が頻発すれば、クリニックの経営にも大きな影を落とすことになります。本記事では、採用にまつわるクリニックの現状と、トラブル時の対策について、法的観点から解説していきます。本連載は、コスモス薬品Webサイトからの転載記事です。

クリニック・医療業界の採用にまつわる現状

2024年4月に本格施行された働き方改革関連法適用による「時間外労働の上限規制」(いわゆる「2024年問題」)は、医療業界に大きな影響を与えることになりました。もともと医療業界は、建設業や物流業と同様、残業や長時間労働が常態化しているとして、働き方改革の適用を受けることになったのですが、この措置で医師や看護師の労働時間が厳格に制限されることになり、時間外割増賃金も見直される運びとなりました。

 

これらを受け、多くの医療機関・クリニックでは従来の業務体系を維持することができず、勤務体系の見直しと医療従事者の確保を迫られました。もっとも、医師不足は業界のみならず、一般のニュース等でも広く周知されており、待遇や給与面の差別化、大型病院以外の人材確保の困難さ等々、多くの問題を抱えています。

 

また、採用に成功しても、待遇差を生んだことによる職場の人間関係トラブルや労働条件のミスマッチにより、短期間で退職するケースも少なくありません。こうした状況下、クリニックが安定的に運営を続けるには、採用時点の契約内容の明確化と、退職時のトラブル回避を目的とした事前対策が極めて重要といえるでしょう。

退職トラブルによってクリニックが負うダメージ

では、クリニックにおいて退職トラブルが起きた場合、クリニックはどのようなダメージを負うのでしょうか。

 

真っ先に思い浮かぶのは、退職による職員の流出と、その穴埋めとしての採用活動のコストです。これらについて対策を講じないと、当該職員がクリニックの悪評を流布する可能性や、採用に伴う費用発生のリスクが常にある状態となり、手痛い損失を生むことになります。

 

もっとも、このようなトラブルは「労働トラブル」と比較すればまだ軽微です。もし労働トラブルまで発展すれば、クリニックが被るダメージは非常に大きなものとなるでしょう。

 

想定しやすい典型的な例としては、下記があげられます。

 

①不当解雇

クリニックが退職者を「クビにした」ことが無効であると主張し、復職または損害賠償を請求されるもの

 

②残業代支払い

クリニックが退職者に支払っていない残業代があるとして、未払残業代とその利息を請求されるもの

 

③在職中のハラスメント

セクハラ・パワハラをはじめとしたハラスメント被害の主張や、退職勧奨等がハラスメントに当たるとして、損害賠償を請求されるもの

 

このような労働トラブルに発展したら、経営者は経営判断以外の対応を迫られて時間やエネルギーを取られるほか、弁護士費用の発生、万一トラブルが公になった場合の風評等への対応等、さまざまな問題が想定されます。

 

しかし、クリニックの経営者が把握しておくべきは、労働トラブルの際には「使用者側(クリニック)は非常に不利な訴訟構造」となっている点です。労働法上、労働者は手厚く保護される一方で、会社側には厳しい判断がされるケースは多く、トラブルによっては苦渋の判断を受け入れざるを得ないこともあります。

 

このようなトラブルのすべてが未然に防げるわけではありませんが、それでもクリニックとしては、万全の対策が求められます。

「雇用契約書」の適切な整備による対策

労働トラブルを未然に防ぐには、雇用契約書においてどのような対策を取ることが考えられるでしょうか。

 

(1)退職時の手続きの明確化

まずは、退職の方法や必要な手続きを明確化することが重要です。雇用契約書に以下のような事項を記載して、退職時になにを義務化できるか明確にしておけば、トラブルを避けることができます。

 

●退職申し出は、○ヵ月前までに書面で行うこと

●引継期間を設け、後任者への業務引継を義務として行うこと

●退職時に貸与物(鍵・社員証等)を返却すること

●退職後に私物を放置していた場合に処分すること

 

これによって、無責任な退職を予防するとともに、社員が退職した場合には、しっかりと雇用契約書に沿ったクリニック側の主張を行うことができます。

 

(2)競業避止義務の明確化

クリニックにとってとくにダメージが大きいのは、退職者が近隣の競合クリニックに転職することです。当然、患者やスタッフを引き抜かれるリスクも考えられるため、「競業禁止規定」を設け、退職者に競業避止義務を課すことが有効です。

 

競業避止義務とは、退職者が在職中又は退職後一定期間、同業他社への転職や競合する事業の開業を禁止する義務です。

 

例として、

 

●退職後○年間は、クリニックの近隣○km以内で同業に従事又は開業しないこと

●退職後○年間は、クリニックの患者やスタッフを引き抜かないこと

 

といった条項を雇用契約書に盛り込むことで、退職後の競業リスクを低減することが可能です。

 

もっとも、競業避止義務は、退職者の職業選択の自由(憲法22条1項)を制限するものでもあります。そのため、過度な制限は、裁判によって無効とされる可能性があります。極端な例ですが、「今後日本国内で医師として働いてはいけない」という規定が許されるかどうかと考えれば、イメージしやすいかもしれません。競業避止義務の適切な範囲は、弁護士に相談しながら設定することが重要です。

 

(3)口外禁止条項の明確化

さらに、退職の内容や競業避止義務の内容等そのものが、クリニックの機密情報となることも多くあります。その場合、退職にまつわる内容について「口外することができない」とする口外禁止条項を定めることも検討するべきです。

まとめ

医療業界に影響を与える人材難や2024年問題は、現場に多くの混乱と退職・労働トラブルを引き起こしたといえます。一方で労働トラブルは、「退職」というそもそも不満を抱えた局面であることと、今後の付き合いがないということから大きなトラブルになりやすく、クリニック側が留意すべき点はとくに大きいと考えるべきでしょう。

 

なお、今回の雇用契約書の整備は単なる対策の一例に過ぎません。トラブル発生の際は弁護士をはじめとする専門家と相談のうえ、リスクの少ない運用体制を構築することが大切だといえます。

 

 

寺田 健郎
弁護士 弁護士法人山村法律事務所